新聞社や通信社、放送局の用語担当者が集まり、報道の言葉遣いや表記について話し合う日本新聞協会の新聞用語懇談会。ここでの議論をもとに各社の表記基準を定めた「用語集」「用語の手引」「ハンドブック」などはつくられています。その現場に約20年にわたり参加してきたベテランが振り返る後編。元産経新聞校閲部長の時田昌さん(写真右から2人目)、毎日新聞の軽部能彦・元用語幹事(同右端)、岩佐義樹・元校閲センター部長(同左から2人目)が、社によって分かれているカタカナ語表記の難しさや、「用懇」の存在意義などについて語り合いました。
【まとめ・宮城理志(写真左端)】
分かれる「ウイーク」「ウィーク」
時田:今は常用漢字改定のように切羽詰まって決めることもないし、字体や交ぜ書きのように熱くなって議論することも減って緊張感がないかもしれない。
岩佐:対立点を残したままの課題もあります。外来語のウィウェウォとか、二重母音とか。
時田:両論併記して通過したが、読者は気にしないのではないかな、ウィークエンドでもウイークエンドでも。
宮城:毎日用語集の今回の改訂では「ウイ、ウエ、ウオ」が基本だった外来語の表記を「ウィ、ウェ、ウォ」と小さくするか検討したが、今回は断念しました。
時田:用懇でそれを議論したときは、はっきり分かれた。読売、朝日はウィウェウォに変更したが、共同、毎日、産経は見送った。共同が踏み切ったら産経もやったかもしれません。
岩佐:逆にいえば共同も毎日の動向をみていたのかもしれない。
時田:そうですね。(共同が)地方紙を説得するときに、「3大紙がやったから、大勢としてはそうだから」といえるのは大きい。
「生活への入り方」で変わるカタカナ表記
軽部:いわゆるカタカナ語は、日本語になっているものとまだなっていないもの、さらにもっと新しい最近のものもある。スペルや発音通り一律に決めることはできない。どういうふうに我々の生活に入っているかによって表記が変わってしまいます。
例えばスイーツは絶対スウィーツになるだろうと思っていたら、ならなかった。生活への入り方によって一律に決められず、個別に考えるしかない。
岩佐:スマート「フォ」ンが略すとスマ「ホ」になるという矛盾も生じますね。
軽部:昔は台所は原音に近いとして「キチン」だったのが後になってキッチンになったけれど「キチン質」(カニの甲羅など)の方はキチンですね。
時田:昔のアナウンサーは「きょうのメーンエベントは」なんて言っていましたが、今は誰も言わない。「メインイベント」です。放送界は、音引きの有無など表記によってアクセントにまで影響を受けるので、発音と同じように書きたいという考えがある。
用懇は放送も入っているから、さすがに時代遅れの表記はつらくなって変えたほうがよいという流れになってきている。
軽部:カフェーとカフェのように、時代の差によって表される物が違うこともありますよね。キャンデーは今キャンディーだが、アイスキャンデーも消えたわけではない。外来語の再輸入のようなこともあります。
時田:新しい言葉はウィンウィンなどと「ィ」が小さいのがいいとなったり、古い「ウインク」はそうでもなかったりしますし。
軽部:だから外来語の原則の作り方は面倒くさい。今まで慣用だったものが原則になり、原則だったものが慣用になる。
時田:メードさんからメイドさんへ。レインコートも昔はレーンコートだったが徐々に変わりました。外国地名は発音に近い原則で、一般用語とはまた違います。別のセンスが必要になる。
岩佐:しかしなぜかそうなっていないメーン州(米国)とメインのような逆の例もある。
軽部:協会用語集は「デラウエア(ブドウ)」と「デラウェア(地名)」を使い分けることになっていますが。
岩佐:毎日は今、どちらもデラウェアと書きます。
時田:産経も通達で変えました。懇談会の議論も時間がたつと古くなる。インドのベンガルール(←バンガロール)、ジョージア(←グルジア)など、表記を変更した外国地名は他にもありますからね。
言葉の全般的な基準を作る意義
軽部:新聞協会ぐらいしか、言葉について全般的な基準みたいなものを作ろうという業界はないんですよね。
時田:出版は各社それぞれで決めているし、時代とともに変わっていくものに対応したりもんだりする機関は新聞協会くらいしかないでしょう。そこが存在意義だろうと思う。
日本で新聞を読んだり放送を見たりすると、だいたい同じような表記がされているのは、各社のまとまろうとする努力で保っている部分です。
軽部:あれだけの議論を経ているから、(説得するときに)「協会で決まっていますから」と言うことができる。
錦の御旗(みはた)とはいわないけれど、それだけの背景があり、簡単には流行に乗らない安定した表記になっています。
岩佐:辞書を見てもいろいろな表記があってどれを選べばいいかわからなくなるが、新聞協会は最低限の基準は決めていますからね。
時田:決めなきゃいけないつらさがある中で、それぞれの社、いろいろな立場からの経験を踏まえた意見が出され、反映されていくのが用懇の意義です。それをどう取り入れ、フィードバックするか。校閲記者として負担は大きいけれども大事な場に違いない。
軽部:新聞の校閲は地味な仕事だが、そのもととなるものを審議してよりどころを示していく用懇の仕事はもっと地味ですね。
時田:たしかに、平日の昼下がりに何十人も集まって、「パンのカタイは『硬』でなく『固』かな、でもフランスパンは違うか」とか。地味だけど実はその過程を大事にしないと、うちはこうするとか方針を決めることもできない。
今も認めていない「的を得る」
時田:ところで協会の用語集はいま何を検討していますか?
宮城:誤字マーク(「短▲刀直入→単刀直入」のように誤表記の例であることを示す黒三角マーク)の要不要や、手書きから変換入力時代になったことに対応した誤字例への見直しなどを。
時田:確かに手書きの頃と今では間違えやすい字は違ってきますから。なるほど。
軽部:協会の用語集改訂は、これまでの検討で決めたことが既に古くなっていないか、最後にもう一回見直さなくてはね。
時田:特に慣用句は(常用漢字改定後の議題として)かなり前にやりましたから。
「的を得た発言→的を射た発言」など多くの表現が挙げられている。「的を得る」は間違いではないという意見もあり、用語懇談会総会でも話題にはなったが、今のところ認めるという判断に至った社は確認されていない。
岩佐:10年近くたっています。そのあいだに毎年、文化庁の「国語に関する世論調査」も出るし。
時田:辞書も変わるし。もしかすると飯間浩明さん(日本語学者)のような日本語の詳しい方に「『言葉狩り』狩り」に遭うかも。「誤用と言っていいのか、新聞は言葉狩りをしている」と。そうすると慣用句も本来はどうとか、ここまで言いきれないなどとなる。
例えば最近は「的を得る」でもよい、「正鵠(せいこく)を得る」というときの「正鵠」は的(の中心)のことだから、などと誤用の判断も変わります。
でも逆に、ずっと辞書などで主流として載り普及してきた言葉で、やっぱりそのほうが分かりやすいというものもある。日本語はマルかバツかなかなか決められません。
岩佐:我々も必ずしも「間違いだ」と言っているわけではないんですけどね。
苦労しながらまとめている価値
時田:TPO、使われる場所によっても違う。ただ何百万部という印刷物は一応、伝統的なものに従って作っていますよと。
辞書によって違うものが出てきたら、どちらかに結論を出さなきゃいけない。だからこそこれを作るのは大事。「協会がそう言っています」といえるものをね。
軽部さんが言ったように、そういうものの全体的な取り決めをしてくれるところは新聞協会ぐらいしかない。
外来語なんて91年にヴを併記した「外来語の表記」が内閣告示されただけで、なにもスタンダードを示していない。勝手にしてくれと。それを折り合わせてこれほどのものを作っている努力は買われていい。
世の中にこれだけ発信されているニュースの表記に統一基準が何もないというわけにはいきませんから。
軽部:やっとこの春、外務省が国名表記で「ヴ」を使うのをやめたそうですね。中米の「セントクリストファー・ネーヴィス」を「セントクリストファー・ネービス」に、アフリカの「カーボヴェルデ」は「カーボベルデ」に。
時田:外来語で「ヴ」はいつ新聞で解禁されるのかと注目されるなか、朝日読売も含めずっと拒んでいる。コンピュータの「ー」問題などもそう。それらを粘り強く苦労しながらもまとめている価値があると思う。
自分たちのハンドブックの根拠にもなり、勝手に決めているわけじゃないと主張できる。共通のものから、載せられるものを足したり引いたりしているという関係は続くと思う。しかしどれだけ世に知られているのかな。知られていませんよね。
日本語がどうなっていくかを見る目印に
岩佐:最後に、用懇の場を継承する人にメッセージを。
軽部:不易流行。変わらないものと変わっていくものを見極め対応すること。
報道界の中で新聞協会の用語懇談会が、流れの中で目印、みおつくし(海や川を通行する船に水路や水深を示すために立てたくい)となる。
表記をはじめ日本語がどうなっていくかを見るときの一つの目印の役割を果たしていく。日本語は変わるが、その役割は変わりません。
岩佐:用懇参加者は用語の広報官です。変わり目に携わることで吸収する面白さはあるが、それを社内に向けてもっと積極的に伝えてほしい。それが使命だと思います。
時田:わかりやすく読みやすい文章をつくるのにどうすればよいかを考える場は、小さいよりも大きいところの方がよい。
いろいろな経験の差があるベテランや若い人の意見を各社から持ち寄る場所。そこは自分たちの言っていること、社の書いていることが今の日本語の組み立てとして妥当性を持つか、変えた方がいいのかを測るリトマス試験紙です。
そこで話を聞いたり、答えを準備したりすることに意義がある。それを利用する場だ。これだけ長く審議に時間をかけることにより、すぐには変えなくてもいいことは変えなくて済むし、変えねばならないことはやがて変わっていくという「ろ過装置」となる。
校閲記者として、用懇の場に参加できてよかった。これからもそうして利用できる場であってほしい。まあ堅苦しく考えなくてもいい。参加していろんなことを言おうと思うことによって研さんも積めるし。他流試合の場でもあります。
全員:ありがとうございました。
1962年、東京都生まれ。86年産経東京校閲センター編集校閲部に校閲記者として入社。入社後、一貫して校閲職。用語委員、校閲部専門委員、校閲部長を歴任。新聞協会用語懇談会委員を約20年務めた。2019年3月退職。現在は、フリーランスとして単行本や各種著作物、ウェブ媒体原稿などの校閲・校正にあたる。また、日本語に関する研修・講座などや執筆活動にも取り組む。初の著書『文法のおさらいでお悩み解消!スッキリ文章術』(ぱる出版)が19年11月に出版。→Twitter
軽部能彦(かるべ・よしひこ)
1955年、山形県生まれ。82年毎日新聞社に校閲記者として入社、一貫して校閲職。元用語幹事。現キャリアスタッフ(嘱託)。92年版から2013年版まで本格的に「毎日新聞用語集」の改訂に携わる。新聞協会用語懇談会には平成の初めから約20年の参加歴があり、議長を2度務める。→関連記事:「2年目の校閲記者が37年目のベテランに聞く」
岩佐義樹(いわさ・よしき)
1963年、広島県呉市生まれ、広島市育ち。87年毎日新聞社に校閲記者として入社、整理(編集者)1年を除き一貫して校閲職。用語幹事、校閲センター部長を歴任。現在、一校閲部員として働きつつ「サンデー毎日」の連載コラム「校閲至極」などに寄稿。 著書に「毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術」(ポプラ社)→紹介記事、「春は曙光、夏は短夜 季節のうつろう言葉たち」(ワニブックス)→紹介記事。