2014年8月初め、毎日新聞社会面で連載していた「週刊漢字 読めますか?」(サイトでも出題)で「首相の戦没者追悼」をテーマにしました。

 過去の「沖縄全戦没者追悼式」、広島「平和記念式典」、終戦の日の「全国戦没者追悼式」で行った安倍晋三首相のあいさつのうち、難しそうな漢字を首相官邸ホームページから拾いました。

 8月6日、ネタにしてしまった手前、今回はどんなあいさつになるのか、耳をそばだたせました。

2014年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ(首相官邸)

 すると、聞いたことのある文言がぞろぞろ。安倍さん、間違えて去年の原稿を持ってきてしまったんじゃなかろうか、と半ば本気で心配しました。

 もちろん、毎年行うのであれば内容が前年と似たものになるのは、このあいさつの性格上避けられませんが、ここまでコピペするのは、雨や猛暑の中、参列していただいた方々のことを考えれば普通避けるものでしょう。

 ただし一校閲者としては、コピペそのものより、疑問符が付く言葉・文字遣いまで繰り返されるというのがどうしても納得いきません。

官邸ホームページより(修正前=後述)

「爆風に浚わせ」

 まず広島の原爆が「一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました」というくだり。

 「浚う」は決して読みやすい字ではないし、ホームページなどに記録として残るものですから、難読漢字は避けた方がいいと思いますが、それは別としても「さらう」の使い方が気になります。

 辞書では「池や沼などの水底の土砂やごみをごっそりととりのぞく。『どぶを-』『なべ底までさらってたいらげる』」(角川必携国語辞典)とあります。つまり「さらう」目的は、きれいにすることであり、「さらう」対象はごみなど、なくなってしかるべきものというイメージがあります。

 原爆被害の形容としてふさわしいとは思えません。これは「爆風にさらし」とするほうが適切と思いますが、いかがでしょう。

罪のない市民に「業火」

 また、「業火」は本来「仏教で、悪業の報いで地獄に落ちた人を焼く火」(同)であり、現在は単に「大火」の意味でも用いられているものの、本来の意味しか書いていない辞書もあります。

広辞苑7版

 

 罪のない市民が焼かれたことに「業火」を使うことには違和感があります。

「犠牲と言うべくして」

 次に「犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました」ですが、この「べくして」の使い方、正しいのでしょうか。

 「①当然の結果として…するはずであって。『起こる-起こった事故』②…することはできても。『言う-おこないがたい』」(同)の①はもちろん②の用法としても苦しい。ここはやはり「犠牲と言うには」と言うべきではないでしょうか。

「斃れる」

 どうも安倍さんは難しい漢字や言い回しがお好きなようで、「倒れる」で済むところを「斃れる」と書くのも、その方が格調高くなると思っているのかもしれません。しかし8月6日に「斃れ」を使ったのと同じ文脈で8月15日には「倒れ」を使っています。

 こだわりがないのなら「倒れ」で十分でしょう。ちなみに音読みではヘイで「斃死」という熟語があり、辞書には「のたれ死に」のこととあります。

「能うる限り」

 「能う限り」については安倍さんは、何度も「能うる限り」と述べています。この間違いについては以前もブログで指摘しましたので詳しくはそちらをご覧いただくとして、今年の沖縄慰霊の日でも「能うる限り」と言っていたので、もっと目立つところで指摘しようと「週刊漢字」で取り上げました。しかしこれも読んでいないのか、それとも何がどう違っているかが理解できなかったのか、やはり2014年の終戦記念日でもはっきり「能うる限り」と安倍さんは読んでいました。

2014年全国戦没者追悼式式辞(官邸ホームページ)

 

 かっこいい言葉でかざりたくて古風な言葉遣いをするのでしょうが、生半可な知識で使うものだから誤ることになります。素直に「できる限り」とすれば突っ込まれなくて済んだのに。

 

 新聞では第1次安倍政権時の「憲法の規定を遵守し」の文言が消えたことや、昨年の「唯一の戦争被爆国民」が「唯一の戦争被爆国」と変わり「民」が消えたことが指摘されています。それも問題でしょうが、いかにも安倍さんらしいともいえます。

 それより一校閲者としては、一国の首相が奇妙な言葉遣いで日本語を乱し続けていることをどうしてみんな突っ込まないのか、気になってなりません。

【岩佐義樹】

 

2020年8月10日追記
現在、官邸ホームページでは「爆風に浚わせ」が「爆風にさらわせ」に修正されています。

修正前(2016年11月30日・ウェブアーカイブ)

修正後(2017年6月8日・同)

想像するに、首相の言葉をあげつらわれ、さりとて言葉自体を変えられず、平仮名に変えるだけならいいだろうと考えた官邸スタッフが直したのかもしれません。

◇この週の問題(浚う、夥しい、斃れる、能う限り、遵守)

読めますか? テーマは〈首相の戦没者追悼〉です。

浚う

答え
さらう
(正解率 57%)

すっかり取り除くこと。2013年8月6日、広島原爆の日のあいさつで安倍晋三首相は、原爆が「一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました」と述べた。

(2014年08月04日)

選択肢と回答割合

あらう 31%
うるおう 12%
さらう 57%


夥しい

答え
おびただしい
(正解率 85%)

非常に多いこと。安倍晋三首相は2013年8月6日、広島原爆の日のあいさつで「犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲」と述べた。つながりとしては「言うべくして」より「言うには」の方がしっくりくるが。

(2014年08月05日)

選択肢と回答割合

おびただしい 85%
かぐわしい 6%
はなはだしい 9%


斃れる

答え
たおれる
(正解率 66%)

亡くなること。首相官邸ホームページの安倍晋三首相あいさつによると、2013年の8月6日「広島に斃れた人々を忘れてはならじ」としていたが、8月15日のあいさつでは「戦場に倒れられた御霊」。微妙に使い分けている?

(2014年08月06日)

選択肢と回答割合

うなだれる 17%
くずおれる 17%
たおれる 66%


能う限り

答え
あたうかぎり
(正解率 84%)

できる限り。2013年の8月15日の全国戦没者追悼式と、今年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で首相は「あたうる限り」と言ったが、文法的に「あたう限り」が正しい。明鏡国語辞典にも「能うる限り」は誤りとある。

(2014年08月07日)

選択肢と回答割合

あたうかぎり 84%
かなうかぎり 16%
ようかぎり 0%


遵守

答え
じゅんしゅ
(正解率 89%)

安倍晋三首相は2007年の第1次政権時代、広島、長崎の原爆の日のあいさつで「憲法の規定を遵守し」と述べた。2013年以降のあいさつでは、この文言は盛り込まれていない。なお遵守は新聞表記では「順守」となる。

(2014年08月08日)

選択肢と回答割合

じゅんしゅ 89%
そんしゅ 11%
ぼくしゅ 0%
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