「知己を得る」という言い回しの使い方は「またとない理解者を得る」だとした人が過半数を占めましたが、「知り合いになる」という軽い意味も4割弱に。言葉を使う側と受け取る側とで、意味の解釈にギャップが生まれることもありそうです。

「知己を得る」という言い回しについて伺いました。

「知り合いになる」も4割占める

「知己を得る」という言い回し――どの使い方がなじみますか?
知り合いになる 38.6%
認められて厚遇される 5.1%
またとない理解者を得る 56.4%

 

「知己を得る」という言い回しの使い方は「またとない理解者を得る」だとした人が過半数を占めましたが、「知り合いになる」という軽い意味で使う人も4割弱を占めました。これら意味は通じ合うものですがニュアンスの差は大きく、言葉を使う側と受け取る側で、ギャップが生まれることもありそうです。

知己のためなら死ねる?

諸橋轍次「大漢和辞典」の「知」の子項目である「知己」には「よく自分の心を知ってくれる人。己の真価を知ってくれる人。自分を待遇してくれる人」とあります。例文の中には「士為知己者死」、いわく「士は己を知る者のために死す」と。大変重たい言葉として説明されています。

もっとも、新潮日本語漢字辞典の「知己」の項目では、①として「自分のことをよく理解してくれる人」を挙げているものの、用例が多いのは②の「知り合い」の方です。例えば「所が母は生憎(あいにく)祭で知己の家へ呼ばれて留守である」(夏目漱石「それから」)といった具合で、日常的に使える言葉になっているようです。

こうした「知己」の幅を踏まえて、「知己を得る」について二つの説明を載せている三省堂国語辞典(8版)は、親切な辞書と言うべきでしょう。回答から見られる解説でも触れましたが、改めて引くと「①理解者を得る。『真の知己を得る』②面識を得る。知遇を得る。『博士(と)の知己を得る』」とあります。

ところで「面識を得る」と「知遇を得る」もちょっと落差があります。前者がそれこそ「顔見知りになる」程度の意味であるのに対し、「知遇」は「人格・識見などを見抜いた上での厚い待遇」(岩波国語辞典8版)のこと。軽く知り合うことから、厚遇を得ること、また無二の理解者を得ることまで、「知己を得る」は幅広く使われる言葉になっているということです。

どう受け取られるかを考えて

「知己を得る」という言葉を実際に使った場合にどう受け止められるかは、ちょっと予測するのが難しくなっていると言えるかもしれません。最近見た原稿での例は、「私が(○○さんの)知己を得たのは△年のことだった」のようなもの。この場合は「面識を得た」「知遇を得た」のいずれかだろうと思いますが、先述したように、この二つでも意味はだいぶ違ってきます。

だいたい「○の知己を得た」という場合には「知り合った」で、「○という知己を得た」のような形なら「理解者を得た」と受け止めてよいのではないかと感じていますが、必ずその通りと言えるかには、正直なところあまり自信はありません。受け手にどう取られるかをよく考えたうえで使う言葉だと考えます。

(2022年08月18日)

質問に際して

「知己」と書いて一般に「ちき」と読みます。「自分のことをよく理解してくれている人。親友」(大辞泉2版)という意味ですが、近年では単なる知り合いを指して使われることも多いようです。そしてこの語を含む「知己を得る」という言い回しも、使い方の幅が気になることがあります。▲三省堂国語辞典(8版)は「知己」の項目の子項目で「知己を得る」について「①理解者を得る。『真の知己を得る』②面識を得る。知遇を得る。『博士(と)の知己を得る』」と説明しています。要するに、「理解者を得る」か「知り合いになる」か、重みの違う二つの使い方がありうるとしています。▲出題者としては、あえて「知己を得る」と言うならば単に知り合いになる以上の意味をこめて使いたいとは思うのですが、新聞原稿でも使い方はまちまちのようです。ここではまず、皆さんはどう使うのかを伺いたいと思います。いかがでしょうか。

(2022年07月25日)

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