追い越されることを「追い抜かれる」というか「追い抜かされる」というかは、前者を選んだ人が後者の約4倍となりました。「どちらもいう」との回答も3割。では「追い抜かされる」と「追い抜かれる」にニュアンスの違いはあるのでしょうか。

「追い抜かれる」というか「追い抜かされる」というか、うかがいました。

「追い抜かれる」が半数以上

後ろの走者に追い越されることを……
「追い抜かれる」という 55.2%
「追い抜かされる」という 14%
どちらもいう 30.7%

 

「追い抜かれる」を選んだ人が半数以上で「追い抜かされる」の約4倍という結果になりました。これは順当というべきかもしれませんが、興味深いのは「どちらもいう」という回答が3割に上ることです。

つまり、どちらもいう人も含めると「追い抜かされる」を使う人は半数近くに上ることになります。これに対し「追い抜かれる」しか使わない人は違和感を示す状況があります。

若い世代ほど「追い抜かす」増える

「追い抜かされる」は「追い抜かす」の受動態です。この「追い抜かす」についてはNHKのアンケートがあります。グラフによると、若い世代ほど「追い抜かす」を使う人が多くなっています。2013年の調査なので、今は全体的に「追い抜かす」が多くなっていると考えられます。

この「抜かす」について、「腰を抜かす」などの言い方があるので「抜かす」という言葉自体に問題はないはず。では何が問題なのでしょう。「追い抜かす」の「抜かす」は岩波国語辞典8版によると

(俗)主にスポーツで、「抜く」(せり勝って進む。追い越す)の意。「ゴール前で二人抜かした」▽20世紀末から急増した言い方。

ということです。

「抜かれる」で成立するはずなのに…

文法的な記述としては、岩波国語辞典には「抜ける」の他動詞とあります。それを受け身にして「抜ける」→「抜かす」→「抜かされる」となったのです。
似たような自動詞→他動詞→受動態の例としては

「負ける」→「負かす」→「負かされる」
「起きる」→「起こす」→「起こされる」
「生きる」→「生かす」→「生かされる」

など、いくらでも考えられます。だから文法的には「抜かされる」も無理がないように思われるかもしれません。しかし上記の「される」の例と「抜かされる」には決定的な違いがあります。

「さ」を取ってみると違いがよく分かります。「負かれる」「起これる」「生かれる」とは言わないのに対し「抜かれる」は立派に成立しているのです。

別の例で言うと「泣く」→「泣かす」→「泣かされる」という変化はありえますが、「泣かれる」というと別の意味になります。「泣かされる」は自分が感動して、「泣かれる」は赤ちゃんに泣かれるなど、人や状況が違ってきてしまいますね。それなのに「抜かれる」と同じ状況で「抜かされる」が出てきたのだとすると、「さ」が余計とされるのもうなずけます。

「抜かれる」と「抜かされる」のニュアンスの違いは

しかし「抜かれる」と「抜かされる」に微妙なニュアンスの違いがあるのだとすると、「抜かされる」が伸長する素地があるといえるかもしれません。再びNHK放送文化研究所のサイトを見てみましょう。「追い抜く」と「追い抜かす」の違いについて、こう述べられています。

「追い抜かす」は「ふつうであれば『追い抜く』はずのない状況」で使われることが多い。そんなことはふつうは起こらないという「意外性・びっくり感」のようなニュアンスもある。
・「追い抜く」には、そのような限定はない。

では毎日新聞に実際に出ていた「追い抜かされ」の例で検証しましょう。

①(弟の)背はぐんぐん伸び、高校2年時に追い抜かされた。バレーは身長の高さが才能に直結する競技だ。毎日のように並んで背を比べてくる弟にいら立ちを抑えきれなくなることもあった。(2021年、東京本社発)
②てんぐになる部分があった。八村に追い抜かされたお陰で意欲が増した。(19年、東京本社発)
③女子は追い抜かされても冷静に対応でき、男子はイメージ通りのレースだった。(13年、長崎版)
④人口で横浜に追い抜かされて久しく、最高地価も名古屋に抜かれた。大阪の「地盤沈下」を嘆く人もいるが、そんなこと、この街の本来の魅力とは無関係だ。(12年、東京本社発)
⑤坂道を上る時、必ず学生に追い抜かされます。昔は相当速足だったんですけど、ひざが上がらなくなったんでしょうね。(09年、東京本社発)
⑥(自転車で)原則通りに車道の左端を走るが、背後から絶えず流れる車、車、車……。どんどん追い抜かされ、後ろにはバイクも迫る。(08年、山口版)
⑦(大阪は)東京と比較すると「地盤沈下」になり、中部と比べると「追い抜かされそう」となる。(07年、大阪管内)
⑧こっちはヨタヨタ、よく追い抜かされるから、爺(じい)さん、ばあさんの競歩チームのようだ。(07年、東京本社発)
⑨追い抜いたり、追い抜かされたり……。(03年、大阪本社発)
⑩友達にどんどん追い抜かされたけど、なにくそと頑張った。(1999年、大阪本社発)

「さ」は悔しさから? 地域性の違い?

⑩は毎日新聞データベースで確認できる最古の例で、①②は最近のスポーツ記事です。「意外性・びっくり」という気持ちもあるかもしれませんが、受け身である分、抜かれた人の「悔しさ」が前面に出ていることが共通します。

④では⑦と同じく、大阪の「地盤沈下」が書かれていますが、これは大阪の人にとって「悔しさ」もですが、「意外性」もあるのかもしれません。それはともかく「横浜に追い抜かされ」は「さ」が入り「名古屋に抜かれた」は「抜かされた」とはなっていません。

その点、⑨も「追い抜かしたり、追い抜かされたり」「追い抜いたり、追い抜かれたり」という対応になっていないところが共通します。これらの筆者にとっては「さ」は無意識に入れたり入れなかったりしているのかもしれません。

⑤と⑧はともに高齢の作家の談話から。若い人より足が遅いのは自然なことですし、「意外性」も「悔しさ」も感じられません。⑥も同様で、自転車が自動車に追い越されるのは当たり前なので「追い抜かれ」との気持ちの違いが生じる場面ではありません。

ところで、⑤と⑧はいずれも関西出身の作家によるものです。時期をさかのぼるほど、西からの発信が多くなる傾向があるようです。最近の例は関東出身の記者によるものですが、西の言葉が次第に関東に進出しているとみることができるかもしれません。今回のアンケートへの反応でも、関西出身者から「追い抜かされる」に「違和感がない」との書き込みがありました。

「抜かされ」で怒る人も

一方で「違和感がある」「『追い抜かされる』なんて言わないし、そもそも『追い抜かす』からしておかしい」という声もありました。また、毎日新聞以外の新聞の話ですが、ある読者が「娘に身長を抜かされた」とあった記事に疑問を感じ本社に電話をしたそうです。応答した担当者は同意しつつ「校閲も通っているんですが」と答えたとか。

このようにみていくと、「追い抜かされる」の「さ」には「意外性」「悔しさ」の認められる場面も多いのですが、「追い抜かれる」と置き換えても本質的に違いのない例も少なくないといえるでしょう。たとえ悔しさがうかがわれる場面だったとしても、「追い抜かされる」が「追い抜かれる」だったところで不自然さはあまりないのではないでしょうか。

逆に、「追い抜かされ」が出てしまうと、アンケートで半数以上だった「追い抜かれる」派の誰かから「おいおい」とクレームが来る可能性があるのです。特に全国の読者を想定するなら「追い抜かされる」の使用は慎重にすべきだと思います。

(2022年03月04日)

質問に際して

「追い抜かす」「追い抜かされる」という文言が気になるという人が多いようです。「追い抜く」を単に受け身にすると「追い抜かれる」ですが、「追い抜かされる」は「追い抜かす」の受動態と考えられます。▲問題はこの「追い抜かす」という言葉がなじむかどうかです。三省堂国語辞典8版によると「追い抜かす」は「21世紀になって広まったことば」だそうです。新しい表現なので、違和感を持つ人が多いのでしょう。▲毎日新聞のデータベースで「追い抜かされ」を検索すると、20件強と全体的にまだ少ないのですが、20世紀で捕捉できるのは1999年の2件のみで、確かに21世紀に入ってから増えているようです。毎日新聞用語集などで規制をかけているわけではないので、違和感を抱く人が減れば件数は増えていくと思われます。ひょっとして将来、本来の「抜かれる」の件数が「抜かされる」に抜か(さ)れることもありうるのでしょうか?

(2022年02月14日)

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