「生きざま」という言葉に違和感のない人は4人に3人に上り、かつて嫌う人が多いとされていた「生きざま」の浸透ぶりがうかがえます。しかし「戦いざま」には違和感を示す人が多く、「~ざま」を安易に広げるのは避けたいものです。

原辰徳・巨人監督の「戦いざま」という発言をきっかけに、「生きざま」という言葉とあわせてどう思うかうかがいました。

「生きざま」違和感なしが4人に3人

「生きざま」「戦いざま」という言葉、どう思いますか?
ともに違和感がある 22%
ともに違和感はない 8.2%
「生きざま」には違和感はないが「戦いざま」にはある 67%
「生きざま」には違和感があるが「戦いざま」にはない 2.7%

 

「『生きざま』には違和感はないが『戦いざま』にはある」が3人に2人と、他を圧倒しました。「ともに違和感はない」を加えると、「生きざま」に違和感のない人は4人に3人に上ります。嫌う人が多い言葉というイメージのあった出題者にとって、それはもはや昔の反応になったのか、それとも「生きざま」を忌み嫌う人は初めから一部に過ぎなかったのか――と考えさせられる結果です。

「金を積まれても使いたくない」人も

脚本家、内館牧子さんの「カネを積まれても使いたくない日本語」(朝日新書、2013年)の冒頭にこうあります。

作家の藤沢周平は、「お金を積まれても使いたくない言葉」として、「生き様」を挙げたという。

内館さんは続けて、明鏡国語辞典の「様(ざま)」の語釈を引いた上で「様を見ろ」など「醜態につけられるものであった」と記します。ただしその明鏡で「生き様」を引くと「特徴ある人生観や人間性で他を圧倒する、強烈な生き方」とあり、醜態とはかけ離れた語釈です。

「ざまを見ろ」の「ざま」とは違う

また、新明解国語辞典4版(1993年)の「生きざま」の注釈には

「ざま」は、「様」の連濁現象によるもので、「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、悪い寓意(グウイ)は全く無い。一部の人が、上記の理由でこの語をいやがるのは、全く謂(イワ)れが無い

とあります。その後の版では「一部の人が」うんぬんの記述はなくなりましたが、「ざまを見ろ」とは違うという記述は一貫しています。

他の辞書はというと、日本国語大辞典2版では「一九六〇年代、『死にざま』の連想から生まれた語」とあります。岩波国語辞典8版では「(『死にざま』に伴った悪い語感もなしに)一九六五年ごろから広まった語」。新選国語辞典9版も「悪い意味を感じる人もあるが、よい意味にも使われる」としています。

一方、集英社国語辞典3版では「生きざま」そのものを立項していません。2012年の改版に際してもこの言葉を入れるのは抵抗があったのでしょうか。もっとも、そういう辞書も少なくなりつつあるようです。今回の結果からも「生きざま」の浸透ぶりがうかがえます。

原監督は「戦いざま」がお好き?

その状況の中で、原監督の「戦いざまを見せてもらいたい」という発言が出ました。今回は日本ハムから移籍した中田翔選手についてでしたが、実は原監督は随分前からこの言葉を使っていたようです。毎日新聞によると2006年、原監督は「巨人は戦闘集団。戦いざまというところをきっちり見せる必要がある」と言ったとのこと。

運動部が長かった毎日新聞記者によると、原監督はインタビューに対し、十分言葉を選び話すタイプだそうです。「戦いざま」もつい出てしまったのではなく、それなりの効果を見通した上で発信していると考えられます。

原監督はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の元監督としても、コピーライターの糸井重里さんとの対談で「戦いざまというものに対しては気を使いました」と述べました。「生き様の『ざま』ですね」と聞かれ「戦う、道のり、といいますか」と付言しています。つまり、結果だけでなく「過程」というイメージで「ざま」と捉えているようです。

言い換えは難しいが多用は避けたい

とすれば「戦いざま」と単なる「戦い方」は意味が微妙に違うのかもしれません。「生きざま」も、嫌う人がいるからといって単純に「生き方」に言い換えるのはどうかという気がしてきました。

もちろん、新聞記事の地の文で「戦いざま」が出てくれば、校閲としてはもっと別の表現に変えるようお願いする必要があるでしょう。しかし原監督に限らず誰か(小池百合子・東京都知事も使っていたようです)の発言として出てくれば、カギ括弧付きでそのまま出さざるをえないと思われます。

「生きざま」も、多用するのは避けたいですが、言い換えを求める理由として「嫌う人が多いので」を挙げることはもはやできそうにないと思いました。ただ、そのバリエーションが広がると、たとえば「振り向きざま」などの「ざま」と区別ができなくなるかもしれません。それだけは「金を積まれても」願い下げです。

(2021年09月17日)



質問に際して

8月に日本ハムから巨人に移籍した中田翔選手について、原辰徳監督は「しっかりと戦いざまを見せてもらいたい」と述べました。「戦いざま」というのは原監督の造語かと思いきや、インターネットでは使用例がいくつも見つかります。スポーツ関係のほか「武将たちの生きざま、戦いざま」というのもありました。

「戦いざま」は「生きざま」から派生した可能性がありますが、その「生きざま」は「死にざま」からきたとされています。そのせいもあるのか、「生きざま」という言葉自体に拒否反応を示す人も多いようです。

十数年前ですが、ある記事に出てきた「生きざま」への反応を予想し「生き方」でいいのではないかと提案して、賛同されたこともありました。今はその頃よりは「大嫌いな言葉」という声も聞かれなくなった気もするのですが、みなさんはどう思われるでしょうか。「戦いざま」とあわせてお答えください。

(2021年08月30日)

 

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