期待が「いや応なく」高まる、という使い方はどうかとの問いには「違和感があり言い換えたい」とした人が3分の2を占めました。「有無を言わさず」という意味の「いや応なく」は肯定的な文脈では使いにくいと考えられます。

「いや応なく」という言葉の使い方について伺いました。

3分の2は言い換えを選択

実験の成功で、新技術への期待が「いや応なく」高まった――どう思いますか?
「いや応なく」で問題ない 15.1%
違和感が強い。「いやが上にも」としたい 67.8%
上の二つは同じような意味で、どちらを使ってもよい 5.4%
上の二つは意味が異なるが、どちらを使ってもよい 11.7%

 

期待が「いや応なく」高まる、という使い方はどうかとの問いには、「違和感があり言い換えたい」とした人が3分の2を占めました。ただし、裏を返せば3分の1は「いや応なく」でも理解できると考えているということ。この結果をどう受け止めるべきでしょうか。

肯定的な場合は使いにくい「いや応なく」

「いや応なく」は漢字で書けば「否応なく」(「いや」は「嫌」ではありません)。ノー(否)もイエス(応)もなくということですから「有無を言わせず。無理やりに」(大辞林4版)の意になります。「いや応なしに」「いやが応でも」「いやでも応でも」と、少しずつ違う形ですが同じ意味を表す言い回しが幾つかあります。

毎日新聞の過去記事で用例を見ると「高齢化と過疎化がいや応なく進む」「感染の危険にさらされ、店員のストレスはいや応なく膨らむ」「社会の仕組みはいや応なく変わらざるを得ない」――のような例が目に付きます。好むと好まざるとにかかわらず、といった感じで、「進む」や「膨らむ」のような物事の程度に関わる動詞につながる場合は、好ましくない事態について使うのが普通のようです。

以上のようなことを前提とすると、期待が「いや応なく」高まる、というのはなんとなく変な感じがします。期待が高まることに「応」と是認することはあるとしても、「いや」と拒否するのは不自然に感じるからでしょう。言い換えたいとした人が多数派を占めたというのも道理であろうと思います。

「いやが上にも」との混同か

マスメディアの用語の案内では、「いや応なく」と同じ意味の「いやが応でも」を、「いやが上にも」と混同しないよう注意を促しています。「放送で気になる言葉2011」(日本新聞協会)は「誤用に気をつけたい言葉」の欄で、以下のように記します。

×いやが応でも士気は高まっています。
いやが上にも士気は高まっています。
「明日の決戦を前に、いやが応でも士気は高まっています」は明らかに誤り。
「いやが応でも」は、「承知、不承知に関係なく」「無理やりに」といった意味。「いやでも応でも」「いやも応もなく」「いや応なしに」など似た言い回しが他にもあるが、意味は共通している。(後略)

「明らかに誤り」として意味に詳しく触れてはいませんが、この場合も高まることが望ましい「士気」について、「いやが応でも」という言い回しを用いるのはおかしいということでしょう。「いや応なく」も「いやが応でも」と同じ意味であるだけに、同様に混同される可能性はあります。

ここで「正解」とされている「いやが上にも」は「すでにそうであるのに、そのうえ。いよいよ。ますます」(明鏡国語辞典3版)の意で、漢字で書くなら「弥が上にも」。「弥」は「弥栄(いやさか)」(ますます栄えること)と同様に「ますます」の意で、その更に上へという勢いを表すのが「いやが上にも」です。「放送で気になる言葉」の用例でいえば、すでに高かった士気が更に一層高まっている、ということになります。

語の選択で自然な表現に

質問文の例でいうなら「いやが上にも」を使った場合は、「新技術への期待は元々あり、実験の成功でそれが更に一層高まった」という意味になります。「いや応なく」ならば、新技術への期待は、たとえそれが望ましいとは言えなくても高まってしまった――ということになるでしょう。

そう考えるとここでの語の選択は、技術の進歩をどう捉えるかという価値観に関わる問題になるのかもしれません。とはいえ実験の成功を紹介する文脈と捉えるなら、素直に前向きな表現を用いるのが自然と考えられます。今回の質問のきっかけになった記事で「いや応なく」を「いやが上にも」に直してはどうか、と出稿部に確認した同僚の判断は適切なものだったと考えますし、今回のアンケートで「言い換えたい」とした人が多かったことも、むべなるかなと感じました。

(2021年08月31日)



質問に際して

某企業の実験的な企画が成功し、イノベーションへ「いや応なく」期待が高まった――との原稿に「いやが上にも」では?とした同僚の直しが目に留まりました。出題者も「いやが上にも」の方が良いように感じましたが、原稿を書いた記者は「いや応なく」の意味を知った上で、この場面に合っていると考えたのかもしれないとも思ったからです。

いずれの言い回しにも「いや」が付きますが、漢字で書くと異なる文字です。「いや応なく」は「否応なく」。「否応」は「承知と不承知」(明鏡国語辞典3版)ですから、「いや応なく」はこちらの意向に関わらず、無理やりにでも、という意味になります。

一方の「いやが上にも」は漢字なら「弥が上にも」。「弥」は「弥栄(いやさか)」の場合と同様「ますます。いよいよ」(同)という意味で、「いやが上にも」は「すでにそうであるのに、そのうえ」(同)と説明されます。

ただでさえ期待されていたものが、成功によっていよいよ期待が高まった――というのが冒頭の文を「いやが上にも」とした場合の解釈です。一方で「いや応なく」だとどうなるか。有無を言わさず期待が高まる、という感じでしょうか。ただしその理解の仕方が自然なものと言えるかどうかは、出題者にも迷いがあります。二つの「いや」が付く言葉、質問文のような場合に、皆さんは使い方をどう考えるでしょうか。

(2021年08月12日)

 

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