受け入れ施設がないことを示す「施設の不在」という表現について、おかしい、違和感があるとの答えが計8割を占めました。「不在」は基本的に人が「いないこと」で、人以外のものが「ないこと」として使うと違和感を生む可能性が高そうです。

「不在」という言葉を人以外にも使えるかについて伺いました。

質問の例は「おかしい」が8割

受け入れ施設がないことを表す「施設の不在」という表現――どう感じますか?
不在は「いないこと」を表すので、違和感がある 55.4%
「ないこと」も表せるので、問題はない 18.5%
「ないこと」も表せるが、この場合はおかしい 26.1%

 

質問の「施設の不在」の例について、おかしい、違和感があるとの答えが計8割を占めました。少なくとも、「ないこと」を何でも「不在」と言い表せるわけではなさそうです。

国語辞典は「いないこと」が主流

手元の国語辞典をいくつか繰ってみると、おおむね「その場所・家にいないこと。るす」(小学館・新選国語辞典9版)といったように、人がそこにいない意と説明しています。珍しく「①家やつとめ先にいないこと②存在しないこと」と2番目の意味を掲げる三省堂現代新国語辞典6版も、用例を見れば「国民不在の政治」とあります。これと全く同じ用例を「いないこと」の意味の中で挙げている辞書は多いので、「ないこと」の意で使うことを広く認めたものとまでは言えないでしょう。

人間以外の場合として、ニュース記事では「米国不在の枠組みを欧州と中国がけん引」といった使い方もしますが、参加主体という意味では人と同様で、「いない」と捉えて差し支えなさそうです。

人以外でも「不在」が使えるケースは…

在という字にヒントがあるのでしょうか。新潮日本語漢字辞典は、「在」の「ある」という意味をさらに細かく「ア:抽象的に存在する」「イ:物がその場にある」「ウ:人がその土地や場所にいる」「エ:人がその地位にいる」「オ:生きている」と分類し、ウのところに「不在」の例を載せています。つまり「在」の字は人にも物にも広く使う一方、根拠は不明ながら「不在」になると主に人に使うということを示しています。

ただ、「いない」以外の使い方を全て排除すべきなのでしょうか。ここ数カ月の記事(寄稿を含む)に現れた例を見てみましょう。「政策不在」「正しい情報の不在」「対話の不在」「国産ワクチンの不在」「科学不在」「説明の不在」……。わざわざ不在という言葉を使わなくても済むものも多いのですが、これだけの例を全て誤用として片付けるのは乱暴かもしれません。共通点として、単に「ない」という事実を言うのでなく「本来あってしかるべきなのに」というニュアンスを強調したいときに使われやすいのではないかと感じました。

とはいえ、そのような用法は今のところ辞典などの裏付けを見つけることはできていませんし、単に物がないことを表すのはおかしいと考える人が多いことはアンケート結果が示すとおりです。あくまでも「いない」以外に使い方を広げすぎるのはおすすめできない、と申し上げておこうと思います。

(2021年04月10日)



質問に際して

国語辞典のほとんどが、「不在」は「家やいるべき場所にいないこと。またある状況や場面にいないこと」(明鏡国語辞典3版)のように、おもに人がそこにいない意として説明しています。人間以外の場合としては「米国不在の枠組みを欧州と中国がけん引する」といった使い方もありますが、参加主体という意味では「いない」と捉えて差し支えなさそうです。

質問の例に実際の原稿で出くわしたときは違和感を覚え、「施設がないこと」と直しました。しかし考えてみれば「政策不在」などの例もよく目にします。違和感の境界線はどこにあるのか、ちょっと考えてみようというわけで伺いました。

(2021年03月22日)

 

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