「ほぼ総なめ」という言い回しには8割が「違和感あり」。うち半分は「許容範囲」としていますが、違和感の大きさは無視できません。「総なめ」が場合によっては「ほとんど」という意味も含むため、「ほぼ」がなじまないのかもしれません。

「ほぼ総なめ」という言い回しについて伺いました。

「違和感あり」が8割占める

投手タイトルを「ほぼ総なめ」にした――この言い回し、どう感じますか?
問題ない 16%
違和感はあるが、許容範囲 42.5%
違和感があり、直したい 41.6%

 

「許容範囲」という人も含めると、8割の方が「違和感がある」とのことでした。この違和感はどこから来ているのでしょうか。「ほぼ」と「総」が並んでいるから? でも「ほぼ全て」という言い方もありますよね。違和感の正体はひょっとしたら、「総なめ」そのものの意味にあるのかもしれません。

元の文で「ほぼ総なめ」が指していたのは、パ・リーグの「最優秀防御率」「勝率第1位」「最多勝利」「最多セーブ」「最優秀中継ぎ」「最多奪三振」のうち、「最多セーブ」を除く5タイトルをソフトバンクの選手が獲得したというものでした。(なお、同じ賞を複数の選手が獲得しており、ソフトバンク以外の選手も最多勝利、最多奪三振のタイトルに輝いています)

「総なめ」自体が「ほとんど」を含むことも

明鏡国語辞典によると、「総なめ」には「賞やタイトルなどの(ほとんど)すべてを獲得すること」という意味があります。ここで「(ほとんど)」としてあるのは、映画や文学の賞など「すべて」の定義が人により異なる場合に適用されると考えられます。

「各映画賞で主演女優賞を総なめにした」という場合に、「A賞とB賞とC賞と……」と片端から賞の名前を思い浮かべるのは難しいのではないでしょうか。こういった場合の「総なめ」は、対象が完全に「すべて」でなくともよく、「ほとんどすべて」という意味で使われると考えてよいと思います。

意味上は「ほぼ総なめ」でも通りそうだが…

対して、元の文での「投手タイトル」は、NPBのホームページを見るとタイトルが六つであるということがはっきりしているため、「総なめ」と表現した場合は必然的に「六つすべて」という意味になると考えられます。しかしそれだと、6個中5個を獲得したという場合には「ほぼ総なめ」でもおかしくはないのかも……。

それでも「ほぼ総なめ」という言い回しに違和感ありとした人が多いのは理由があるはず。おそらくは「総なめ」が、「ほとんど」というニュアンスを含む場合もあることが関係しているのではないでしょうか。「ほぼ」と「ほとんど」は意味がダブっています。だからといって「ほぼ」を削ってしまうと、文の意味が変わってきてしまいます。

違和感の小さい書き方探りたい

そのままでも間違いとはいえず、許容範囲にも思えますが、これだけ「違和感がある」と思う人がいる以上、まずは書き換えを検討したいところです。質問のきっかけになった原稿について直しを出したことも、自然な対応だったと心強く感じました。

(2020年01月05日)



質問に際して

だいぶ悩んだ一文です。総なめには「賞やタイトルなどの(ほとんど)すべてを獲得すること」(明鏡国語辞典)という意味があります。語釈に「ほとんど」とあるので悩みが深まるのですが、この「ほとんど」は映画の賞など、いくつもあり、かつ「すべて」の認識が人によって違い、解釈が明確でないものを指していると考えられます。

また「ほぼ全て」という表現もあるので「ほぼ総なめ」もアリなのでは……?と思ったのですが、元々「ほとんど」という意味合いも含んでいる語に対して「ほぼ」をつけるのは違うような気も……。だからといって「ほぼ」を取ってしまうと意味が変わってきてしまいます。

いっそそのままにしようかとも考えたのですが、悩んだ末に「投手タイトルの多くを手中にした」とする直しを出しました。みなさんはどのような印象を受けたでしょうか。

(2020年12月14日)

 

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