「前広に検討」という場合の「前広に」について、辞書に見当たらない「視野を広く」という意味とする回答が半数以上となりました。官庁用語とされますが、国会でも多様なニュアンスで使われているようで、極めて曖昧な語です。

「前広に」という言葉をどう解釈したか伺いました。

「視野を広く」が過半数占める

「前広に検討する」。この「前広に」はどういう意味と思いますか。
前向きに 19.2%
あらかじめ 20.9%
視野を広く 53.6%
できるだけゆっくりと 6.4%

 

「視野を広く」という回答が半数以上と興味深い結果になりました。しかしこの意味は調べた限りでは、辞書に載っていません。辞書的には「あらかじめ」という選択肢が適切なのですが、はたして今その意味で使われているのでしょうか。

辞書的には「前広に=あらかじめ」だが

安倍晋三首相による「前広」発言が飛び出したのは4月29日の衆院予算委員会でした。9月入学に対する考えを聞かれた首相は「これぐらい大きな変化がある中において、前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と述べました。これについての毎日新聞の報道では、なじみのない言葉なので「まえびろ」という振り仮名が付いていました。

その後、5月14日の記者会見では「この9月入学も有力な選択肢の一つだろうと思いますが、前広に検討していきたいと思っています。 もちろん、大変大切なことですから、拙速な議論は避けなければいけませんし、(中略)深く議論をしていきたい」と言っています。

さて「前広」の意味について考える前に、読み方について確認しておきましょう。首相の4月の発言は、いま一つはっきり聞き取れなかったのですが、どちらかといえば「まえひろ」と清音に聞こえました。5月のときは、はっきり「まえびろ」と濁って聞こえました。

辞書で確認した限りでは「まえびろ」と濁るものしか見当たりません。細かいことですが、「まえびろ」というルビを付けたのは辞書的に「正解」ということになります。

では辞書としての意味はどうなっているでしょう。「広辞苑」では【前広】は「以前。前から」、【前広に】は「あらかじめ。前もって」。江戸時代から用例が見られ、他の辞書も大体似た語釈です。

「前広」=「時間の余裕を持って」?

しかし、毎日新聞の記事に「『前広』は『あらかじめ』『前もって』などの意味で、官庁では『時間の余裕を持って検討する』という趣旨で使われることが多い」とありました。元厚生官僚の浅野史郎さんのブログでも「前広に」は「外交官の使う官庁用語」で「時間的余裕を持って」というぐらいの意味と記されています。

このニュアンスを記す辞書は今のところ見いだせません。しかし、考えてみれば「前広に検討する」という場合、単に「事前に検討する」という意味だけではないように思えます。事前に検討するのは当たり前であり、事後となれば「検討」ではなく「検証」というべきです。とすると、「前広」の「前」よりは「広」の方に意味のウエートがあるといえるでしょう。

辞書の江戸時代の用例を見る限り「広」の方に強調されたニュアンスは特に感じられません。それがいつの間にか官庁や国会の専門用語として使われるうちに「広」の意味合いが広がってきたようです。

国会会議録で「前広に」を検索すると、戦後間もなくから使われていました。例えば1948年のこの発言。「あまり前広にもできない。しかしあまりに近づいてもただ今のご意見のように間に合わないということもある」。これは単なる「前」ではなく時間的に「広い」という明確な意味が与えられている例です。

「前広」=「範囲を広く」?

しかし、最近の例を見ると、必ずしも時間的余裕とはいえない例も見受けられます。以下は、首相官邸のホームページから引いたある検討会委員の発言です。

要するにやるのかやらないのかということについて投票でもあるいは議決でも何でも結構ですけれども、何らかの形で採択する方向にするのか(中略)できるだけ前広に検討していって、決する手続きに直ちに入った方がいいと思います

たぶんこの話者は要するに「早く決を採れ」と言いたいのでしょうから、「前広」の官庁用語としての「時間的余裕」という意味は希薄と考えられます。

次に今年の2月、加藤勝信厚生労働相の新型コロナウイルス対策についての国会答弁をみましょう。

隔離、停留とか、通常の人の行動を制約するという問題がある。したがって、そこは慎重に対応するというものと、一方で、前広に前広に感染の防止をしなきゃいけないという、この二つのバランスをどう図るか、大変悩ましい

この「前広に前広に」の真意は分かりませんが「前々から」の意味ととれなくもありません。これに対し野党の岡本充功さんはこう応じます。

前広にという表現を大臣は使われていますけれども、広めの対策をとって、私は、後で、そこまでいかなくてよかったねということになればそれでいいんですから、ぜひ広めの対応をとっていただきたい

「前広に」が「範囲を広く」という感じに解釈されているのではないでしょうか。これは今回のアンケートでの多数派の認識に近くなっています。

首相としては「できるだけゆっくりと」?

では、安倍首相の「前広に」はどういう意味なのでしょう。正直いって、本人に聞いてみないと分かりません。ただ、記者会見では「拙速な議論は避けなければ」と言っているので、少なくとも「スピード感をもって前向きに」という感じではないといえます。「今、与党でも議論していると思います」と人ごとのようなことも言っています。

実は5月4日の記者会見でも9月入学案を含む質問があったのですが、首相はオンライン教育などについてのみ答え入学時期については無回答でした。これらのことから、おそらく首相の頭では最優先事項となっていないという推測が成り立ちます。だからこの場合の「前広に」を、アンケートでは最少だったのですが「できるだけゆっくりと」と意訳してもさほど的外れではない気がします。

「意味のない」修飾語かも

いや、もしかしたら深い意図などなく、単に「検討」という言葉を飾るだけの「意味のない」修飾語だったかもしれません。同様に官庁用語でよく使われる「可及的速やかに」の「可及的」のように……。「かきゅう」というと「火急」と同音なので一刻を争うようなイメージがありますが、「できる限り」という意味なので、裏を返せば「できることだけは急ぐけれどできないこともある」とも受け取れます。だったら単に「速やかに」でいいのに、一般的ではない言葉を意味もなく使うことで重々しく思わせたがる習性がお役所や政治家にはあるようです。

いずれにせよ、このアンケートで「前広に」が、多様に解釈される極めてあいまいな言葉ということがよく分かりました。少なくとも国民の重大関心事である入学時期について「前広に」という言葉を発するからには、どういう意味で発したのか、「丁寧に」「真摯(しんし)に」「しっかりと」説明責任を果たしていただきたいと思います。

(2020年05月26日)



質問に際して

安倍晋三首相は9月入学に関して、国会で「前広(まえびろ)にさまざまな選択肢を検討したい」と述べました。ニュースを見て「まえびろ? どういう意味だ?」と思った人が多いのではないでしょうか。

「三省堂国語辞典」などによると、「前広に」は「まえもって。あらかじめ」となっています。だから国語辞典的には「あらかじめ」。しかし毎日新聞の報道によると、官庁では「時間の余裕を持って検討する」という趣旨で使われることが多いそうです。単に「前もって」ではなく時間の余裕をもってということを重視すれば「できるだけゆっくりと」という答えの方がよいということになります。

これはクイズではなくアンケートですから、正解はありません。安倍首相発言は「時間の余裕を持って」と解釈されていますが、余裕というのがどれくらいの期間なのかはっきりしません。いかようにも解釈できるところが官庁用語らしいといえるかもしれません。みなさんの解釈はいかがでしょう。

(2020年05月07日)

 

フォローすると最新情報が届きます

Twitter