「ほぼ完成」と「ほぼほぼ完成」どちらが完成に近いか。「ほぼ」が4割、「ほぼほぼ」が3割強でした。「同じ」とした人は1割未満。「ほぼほぼ」は主観的という説明もありますが、どう使うか、どう受け取るかは人それぞれのようです。

「ほぼ」と「ほぼほぼ」について伺いました。

意味の差は意識されているようだが…

「ほぼ完成」と「ほぼほぼ完成」。完成に近いのはどちら?
ほぼ完成 40.5%
ほぼほぼ完成 33.5%
どちらも同じ 7.4%
「ほぼほぼ」を使わないので分からない 18.7%

 

割れました。「ほぼ」の方が完成に近いとした人は4割、「ほぼほぼ」の方が近いとした人が3割強。意外だったのは「どちらも同じ」とした人は1割に満たなかったことで、それなりに意味の差は意識されているようです。しかし今回の結果からすると、その意識は使う人によってまちまちの可能性が高く、なかなか厄介な表現と言えます。

普及は進んだ「ほぼほぼ」

「ほぼほぼ」の毎日新聞での初出は2016年。荻原浩さんの小説「ストロベリーライフ」の登場人物の会話の中で使われていました。それから今年7月まで23件の使用例がありますが、ほとんどは発言の中や投稿など。記者が地の文で使った記事は無く、文章語として定着した表現ではないことが分かります。

しかし「『ほぼほぼ』を使わないので分からない」を選んだ人も2割以下という今回のアンケートの結果から見て、口頭語としては「ほぼほぼ」の定着がかなり進んでいることがうかがえます。2017年度の文化庁「国語に関する世論調査」では「聞いたことがない」という人は31.7%。「毎日ことば」のアンケートは無作為抽出の世論調査ではなく単純に比較することはできませんが、7、8割の人にとってはもはや未知の言葉ではないというのは、うなずける数字ではないでしょうか。

「ほぼほぼ」は強調か、ぼかした表現か

肝心の意味についてですが、何かしらの根拠を持って説明することはできるでしょうか。野口恵子さんの「『ほぼほぼ』『いまいま』?! クイズおかしな日本語」(光文社新書)を見ると「『ほぼほぼ』については、本当の意味が私にはよく分からない」と諦めムードです。

これは強調なのだろうか、それとも婉曲(えんきょく)表現なのだろうか。〔中略〕「ほぼほぼ」は「ほぼ」をぼかしたものではないかという気もする。しかし、「ほぼ」自体がはっきりしたことを言っていないのだから、それをさらに曖昧にするというのも変な話だ。

野口さんは「ほぼほぼ」について「ほぼ『ほぼ完成』」のように見て「ぼかしたものではないか」とも考えたようですが、意味の上からは「ほぼ」との差が理解できない表現と結論づけているようです。

三省堂の説明も「解釈分かれる」

「ほぼほぼ」は出版社の三省堂が企画する、辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」に選ばれています。ウェブサイトでの選評を見ると、「ほぼほぼ」は国会会議録では1949年に既に現れているとのこと。もっとも、よく使われているというわけではなく、発音も「ほぼ、ほぼ」だったかもしれないとしています。

2016年には「ほぼほぼ」というテレビ東京の番組が始まり、朝日新聞にこの語を取り上げた記事が載り、野口さんの前掲書も出たということで、満を持しての授賞となったようです。意味については「『ほぼ』の強調、と理解して差し支えありません」とありますが、「もっとも、『強調』という説明は、実は曖昧です」と論理はひるがえります。

「ほぼほぼ完成」と言った場合、それは「もう完成に近い」という点を強調しているのか、それとも、「あくまで『ほぼ』であって完成ではない」という点を強調しているのか、人によって解釈が分かれます。

結局のところ「ほぼほぼ」の意味は安定的ではなく、言葉が使われる状況や対話のムードによって裏付けられると言えそうです。

「ほぼほぼ」は主観的という説明も

上記のサイトでは、三省堂が出版している三つの国語辞典(三省堂国語辞典、新明解国語辞典、現代新国語辞典)の担当者が、各辞典に「ほぼほぼ」を載せるならどうなるか、説明を試みています。当方が納得できたのは現代新国語辞典のもの。語釈に加えて「『ほぼ』よりも話者自身の観点や期待がこもるぶん、話しているほうでは度合いを高めているつもりでも、受けとるほうからは不安に思われる場合もある」という説明が施されています。「ほぼほぼ」は「ほぼ」より主観的という見解で、なるほどと思います。

上記の説明に従うと、「ほぼほぼ完成」の場合も使う側が「完成間近!」という意味を込めようとしていても、受け手は「『ほぼ完成』と言う自信がないから『ほぼほぼ』なのかな?」と取る可能性があるということです。今回のアンケートの結果から見ても、どう使うか、どう受け取るかは人によってまちまち。口頭の表現としてはなじみの出てきた言葉ですが、使う際にはその場のムードや相手との関係を踏まえて、精度よりも雰囲気を伝えるという形になりそうです。

ところで「今年の新語2016」の後に出版された現代新国語辞典6版(2019年)にも「ほぼほぼ」は採用されませんでした。せっかく語釈を考えたなら載せてくれてもよかったのに――と思うのですが、やはり辞書に載せるにはまだ熟し具合が足りない言葉ということでしょうか。秋に出る大辞林4版はどうするか、注目されるところです。

(2019年08月02日)



質問に際して

ちなみに出題者自身の回答は四つ目の「分からない」です――というのは威張れたことでもありませんが、分からないからこそ皆さんの意見を伺いたいところです。

とはいえ出題者と同様に「分からない」という人も多いかもしれません。タレントの松尾貴史さんは毎日新聞で連載しているコラム「ちょっと違和感」で、「ほぼほぼ」について「『ほぼ』よりも『絶対』『確実』に近いという意味か、『ほぼ』という意味をもっとぼかすために重ねているのかは判然としない」と述べていますが、同感です。

これが「まだ完成しない」と「まだまだ完成しない」であれば、「まだまだ」のほうが完成から遠いのだろうと見当がつきます。「まだ」という、目標とする状態からの遠さを表す言葉を強調しているのだから、より遠いはずだと受け止めるからです。

しかし「ほぼ」というあいまいさを示す言葉を強調するとどうなるのか。仮に「ほぼ」が95%完成なら、ほぼを重ねたら「95%の2乗」で完成度は90%ぐらいになるのでしょうか。あるいは残りの5%分も95%完成して、100%に近くなるのでしょうか。

(2019年07月15日)

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