「期待したい」という言い回しに違和感があるかないか、ほぼ半々でした。意味の上では「期待する」で十分なので何だかモヤモヤしますが、押しつけがましくならないように弱める表現であるらしく、近年多く使われるようになってきています。

「期待したい」という言い回しについて伺いました。

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ほぼ半々に分かれる

令和が良い時代になることを「期待したい」――カギの中、違和感ありますか?
違和感がある。「期待する」でよい 54.9%
違和感はない 45.1%

 

「違和感あり」が若干多かったものの、半々に近い結果となりました。頻出する言い回しなのですが、違和感を持つ人が意外に多いようで、出題者としても何となく心強い思いがします。

「たい=希望」では説明しにくい

「期待したい」という表現は新聞の社説などでよく見かけるのですが、何だかモヤモヤするものです。助動詞「たい」について国語辞典は「①話し手の希望を表す。②話し手以外の人の希望を表す。③(中略)他に対する希望・要求を表す」(大辞泉2版、用例省略)と説明するのですが、「期待したい」の「たい」にはどうもなじまないのです。「期待するか、しないか」というのは話し手の自由なので、「希望」というのも変な感じがするからでしょう。

「さらなる躍進を期待したい」「一層の指導力発揮を期待したい」「大統領の奮起に期待したい」「取引の拡大を期待したい」――少し前の社説からいくつか抜き書きしましたが、どれも意味の上では「期待する」で十分。「期待したい」の方が「何か言っている感」が出るのかも?などと変な方向へ勘繰りが働きます。

「弱める」表現の一種か

ツイッターへのコメントでは、「期待したい」は明言するのをためらう場合に使われる「婉曲(えんきょく)表現の一種」だという意見が出ましたが、これは魅力的な見解です。明鏡国語辞典2版は「たい」の子項目「たいと思・う」で「(2)自分の方針や行動を表明する際に、主観性を弱めるのに用いる」と説明しています。「期待したい」の「たい」は、「と思う」が無い場合でも、このような「弱める」表現ではないでしょうか。

明鏡は、回答から見られる解説でも引いたように「『~を祈りたい』『~を期待したい』など、事柄の成就を願う動詞に付く場合は、そのような精神作用を行うことではなく、事柄が成就することへの希望を表す」という説明をしています。しかし、「ここは○○と考えたい」のような言い回しも、「期待したい」と同様なのではないかと考えます。考えるのは「たい」を付加するまでもなく自由なのですが、それをあえて表明するに当たって押しつけがましくならないように付ける「たい」ではないでしょうか。

上のように考えれば、社説でどんどん「期待したい」が出てくるのも理解できるように思います。「期待する」だと押しつけがましくて嫌がられるかも、という書き手の気持ちが「期待したい」にさせるのだと。もっとも、端的に書いた方がむしろすっきりして受け入れられるのかもしれませんが……。

平成の初めに使用が増加

一方、やはり回答からの解説で引いた岩波国語辞典(7新版)の記述も気になります。「『―する。』と言い切って済む文末を『―したい。』と言うことが一九九五年ごろから好まれ出した」という、時期に関するくだりです。参考までに毎日新聞の記事データベースで使用例を見てみました。

「期待したい」が使われている東京本社版(地域面除く)の記事の数は、1988年の1年間に33件▽89年に36件▽90年に119件▽91年に226件▽92年に246件――と、平成の初めごろに一気に使用例が増えています。岩波の言う95年には270件。ちなみに昨年、2018年は246件でした。

ただし、これを急増と認めるには留保が必要です。記事登録の作業上の問題もあって、90年代の方が記事の絶対数が多いのです。ちなみに89年の全登録記事数は2万9299件。95年は8万6786件でした。件数ではなく頻度で比較すると、89年に対し95年の方が約2.5倍の頻度で記事中に「期待したい」が現れています。件数からの見かけほどではありませんが、顕著な伸びと言うことはできそうです。「期待したい」も実は「平成の言葉」の一つなのかもしれません。

岩波国語辞典7新版

避ける必要はないが、考えて使いたい

アンケートの結果は分かれましたが、「期待したい」は違和感があるとしても直しの対象となる表現ではなさそうです。ただし、みなさんも文章を書く折に「期待したい」を使いそうになった場合には、それが比較的近年に普及した言い回しであることを振り返って、より端的な言い回しが使えないかと考えてみることを期待したいところです。

(2019年05月21日)

質問に際して

希望・願望を示す動詞に、これもまた希望・願望を表す「たい」という助動詞が付くことがあります。「期待したい」「祈りたい」「望みたい」など。しかしこうした表現は、意味の上からは「期待する」「祈る」「望む」で十分な場合もあるのでは。いや、むしろほとんどは「たい」がなくても同じ意味になるのではないかと思います。

国語辞典を引いたところ、これに触れていたものは二つ。岩波国語辞典(7新版)と明鏡国語辞典(2版)です。岩波は「期待」の項目で「『―する。』と言い切って済む文末を『―したい。』と言うことが一九九五年ごろから好まれ出した」と言います。「言い切って済む」と言うのを見ると、岩波は「たい」を付けるのは変な用法だと言いたいようです。

一方の明鏡は「たい」の項目中で「『~を祈りたい』『~を期待したい』など、事柄の成就を願う動詞に付く場合は、そのような精神作用を行うことではなく、事柄が成就することへの希望を表す」としています。今回の問いで言うなら、「たい」は「期待」に向けられたものではなく、「良い時代になること」について希望を示しているということです。この理解だと「たい」はあってもよいことになりそうです。

こうした表現は、変だと言うにはあまりにもよく使われるのですが、説明しようとすると難しいものです。皆さんはどう感じるでしょう。

(2019年05月02日)

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