「選挙戦も佳境」という言い方は、おかしいという人が優勢でした。辞書をみても、はっきりとプラスの意味を持たせる場面以外で軽々しく使うのはためらわれます。また佳境に至るプロセスも重要である気がします。

選挙戦の「佳境」という表現をどう感じるか伺いました。

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選挙の佳境 「おかしい」がやや優勢

「選挙戦も佳境に入った」。この「佳境」の使い方をどう感じますか?
問題ない 43.3%
おかしい 56.7%

 

「問題ない」「おかしい」ほぼ半々でしたが、おかしいと感じる方がやや多いという結果でした。これだけの方に違和感を与えるのであればやはり避けた方がよさそうです。タイミングによって「本格化した」とか「大詰めを迎えた」などの表現を考えるべきでしょう。

プラスの意味が強い「佳境」

ウェブで見られるデジタル大辞泉の「佳境」の項目は、「ふつう物語、演劇等の興味深い場面をいい、『佳境に入る』などの形で使うが、最近『年賀状仕分け佳境』のように、ある状況の頂点・最盛期をいう使い方が目立ってきている」という補説が加えられています。毎日新聞の記事でも「研究が佳境に入る」「まつりの準備が佳境に入る」といった使い方が見つかりました。

しかし大辞泉2版を含め、書籍版の国語辞典ではこの用法は見当たりません。岩波国語辞典7新版では「何とも言えずすばらしい所」とまで書かれており、はっきりとプラスの意味を持たせる場面以外で軽々しく使うのはためらわれます。

「おいしいところ」という説明も

ところで「佳境」の意味として他に「景色のよい所」という意味を載せている辞書が多いのですが、大辞林3版はその代わりに「風味のよいところ。うまい部分。蔗境」と書いていました。円満字二郎編「故事成語を知る辞典」にこの意味の由来が解説されているので引用します。

「世説新語-排調」に出て来るエピソードから。四~五世紀、東晋王朝の時代の中国の画家、顧愷之(こがいし)は、サトウキビを食べるとき、先の方から食べ始めていました。ある人がそのわけを尋ねると「漸(ようや)く佳境に入る(少しずつおいしいところへと進んでいくのさ)」と答えたそうです。

大辞林の説明にある「蔗境(しゃきょう)」の「蔗」はサトウキビのこと。大してうまくない部分からスタートし、少しずつ食べ進めてようやくおいしいところに到達するのが「佳境に入る」というわけです。

理想的な選挙戦なら「佳境」も似合う?

この故事を踏まえると、佳境に至るプロセスも重要である気がします。小説や映画でも、十分な伏線が張られているほどクライマックスは楽しめるもの。ですから選挙戦も、政策が提示され、有権者は十分に吟味し、候補者同士が激しく議論を戦わせ……と盛り上がってくれば「佳境に入った」と言っても違和感がないかもしれません。しかし選挙カーで候補者名を連呼するだけであれば、最後まであまりおいしさを感じられないでしょう。統一地方選では各地で最低投票率を更新してしまう事態が相次ぎましたが、少なくともこのような残念な選挙戦には「佳境」は似つかわしくありません。

(2019年05月07日)

質問に際して

統一地方選挙の真っ最中。たまに見かけるのがこの「佳境」という表現です。

毎日新聞用語集では「『佳』は『よい』『美しい』意味」で、「『佳境に入る』『佳境を迎える』は、最も興味深い、面白い場面になること」だから、「単なるヤマ場の意味では使わない」と注意しています。つまり「救援活動が佳境を迎えた」「法案策定作業も佳境に入った」などと書いては、「これのどこがよいこと、面白いことなんだ!」と怒られてしまうでしょう。小説や映画、スポーツの試合などに使うのがぴったり合いそうです。

ですから「選挙戦」もやはり「佳境」という言葉にはそぐわないのでは、というのが第一感。候補者同士の戦いを一つのドラマにでも見立てればあり得るかもしれませんが、「新聞がこの重大な選挙を面白がるなんて……」と思われても困ります。

しかし、そう書いてくる記者がいるということは、案外気にならない表現になっているのかも? 校閲としては直したい表現ですが、気にならないという人はどれくらいいるでしょうか。

(2019年04月18日)

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