「高嶺の花」か「高根の花」か。多くの新聞が使う「高根」は歴史的な根拠があり〝間違い〟ではありませんが、「高嶺」派が9割を超えた結果からみると、新聞が「高根」に固執している観があることも否めません。

「高嶺の花」「高根の花」どちらの表記を使うか伺いました。

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9割超が「高嶺」を支持

遠くから眺めるだけで手に入れられないもの。どう書きますか?
高嶺の花 93.4%
高根の花 2.6%
上のどちらでもよい 4%

 

「高嶺」派が9割を超えました。「どちらでもよい」を含めても「高根」派は1割に届きません。恐れていた通り、いやそれ以上の結果となりました。

といっても、出題者自身も新聞以外で「高根の花」表記を見た記憶がほとんどありません。「根」の字が木の根のように低いところにあるもの、土台部分をイメージさせるため、高いところを指す言葉に使うのは違和感が強いということもあるでしょう。

「嶺」は「御根」の意で同語源

明鏡国語辞典2版では見出しを「高嶺(高根)」とし、「『高根』は新聞で使う代用表記。『嶺(ね)』は『みね(御根)』の意で、『根(ね)』と本来同語源とされるところから『高根』とする」と解説しています。「高根」をカッコの中に入れているのは、凡例でいう「標準的ではないが、語源を示すなど、有用である表記形」と判断してのことでしょう。

大辞泉2版の「みね」の項目では、「『み』は接頭語。『ね』は山の頂。山を神域とみていう語」とあります。山の頂上を意味する「根」が先にあり、それに「み」がついて「みね」が生まれ、今では一般的に「嶺」(もしくは峰)の字を当てているわけです。

地下ではない「根」

「根」については柳田国男が、那覇で行われていた「ネグニ拝み」という祭りの「ネ」について次のように書いています。「ここで根というのは勿論地下ではなく、たとえば日本の前代に大和島根、もしくは富士の高根というネと同じく、またこの島で宗家をモトドコロあるいはネドコロともいったように、言わば出発点とも中心点とも解すべきもの(中略)」(河出書房新社「日本文学全集14」より「根の国の話」)。

自らのルーツがある国の方を拝むから「ネグニ拝み」というわけです。上の辞書とはまた違う観点ですが、神のすむ山の頂こそ中心点「根」である、という発想も理解できるのではないでしょうか。

というわけで、さかのぼってみれば「高根」で問題ないわけです。元々「高嶺」だったものを新聞が勝手に「高根」にしているわけではありません。「『高根は間違い』と断じることは間違い」ということはご理解いただきたいと思います。

新聞も変更の時は近いか

とはいうものの「高嶺」派が9割超という結果は大変重いもの。歴史的に根拠があるとはいえ、「高根」を使い続けることは、「新しい」と言わず「あらたし」と言い続けたり、「独壇場」と言わずに「独擅場(どくせんじょう)」と言い続けたりするようなものに見えるでしょうか。新聞が「高根」に固執している観があることも否めません。

以前当サイトでは「明らかに『高根』が死語になり、違和感がひどく大きくなるような事態であれば変更や工夫が必要になるでしょう」と書きましたが、今回のアンケートの結果を見る限り、もうその時は近いと思われます。

(2019年04月16日)

質問に際して

毎日新聞では「高根の花」と書くことに決めていますが、しばしば読者から「高嶺ではないか」と指摘を受ける表記です。辞書には「高根/高嶺」両方の表記が載っており、常用漢字で書くために「高根」の方を採用しているわけです。主な新聞・通信社の用語集を見てみると、「高嶺(たかね)の花」とルビ付きで使うと決めていたのは1社だけで、他は全て「高根の花」でした。

過去にも当サイトで取り上げたように、「根」には「嶺」と同様「みね。山のいただき」(広辞苑7版)という意味があります。音が同じだからというだけで「根」を当てたわけではなく、「高根」にも十分な根拠があるのです。

しかし新明解国語辞典7版が「『高根』は、借字」とするなど、「高根」は「高嶺」の代用表記だとする辞書が複数見られました。また大辞泉2版など、「たかねのはな」に関しては「高嶺」しか記していない辞書もあります。やはりこちらが本来の表記だという考え方が優勢で、アンケートでも多数派になるのでは、とびくびくしながらの出題です。

(2019年03月28日)

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