準優勝で「凱旋」は、「問題ない」と考える人がやや多いものの、「おかしい」と半々に近い結果となりました。判断が揺れるのは、選手たちか迎える側かイメージする立場の違いを反映しているのではないでしょうか。

「凱旋(がいせん)」という言葉の使い方について伺いました。

スポンサーリンク

準優勝で「凱旋」、「問題ない」やや多く

準優勝チームの帰還に「凱旋(がいせん)」という表現、どう感じますか?
勝った時に使う言葉なのでおかしい 46.6%
準優勝も成功とは言えるので問題ない 53.4%

 

「問題ない」と考える人がやや多いものの、半々に近い結果となりました。NHKの報道番組で見た「準優勝金足農/凱旋に地元沸く」という文言が今回の質問のきっかけでしたが、半数の人が「問題ない」と答えたことを考えれば、こうした言い回しがマスメディアに乗るのも不思議はないと言えるでしょう。


NHKの報道番組から

「凱」の字は「戦争の勝利を祝って歌う歌」(新潮日本語漢字辞典)。戦いに勝って「凱歌をあげる」とは、文字通りに歌うことは少ないとしても今でも使う言い回しです。「旋」は戻ること。合わせて「凱旋」は「戦争に勝利して故国に帰ること」(同)となります。とはいえ今日では戦争そのものに使われることはほとんどなく、「成功を収めて帰って来ること。『凱旋公演』」(同)や、「国際競技大会などで勝って帰ること。『―帰国』」(三省堂国語辞典7版)のような使い方がもっぱらです。

準優勝でも「凱旋」という表現を使うことに支障はないか――まず考えるに当たってのポイントは、「もし自分が何かの大会で準優勝して地元に帰るなら『凱旋』であると思うだろうか」ではないかと考えていました。準優勝というのはもちろん大きな成果なのですが、決勝に臨んで優勝を目指した当事者としては「勝ちたかった」という思いが残るだろうと想像します。その上で「凱旋」という、晴れやかに勝利をうたい上げる言葉を使うことは、我がこととして考えた場合に果たしてできるでしょうか。

一方で、帰還を迎える側から見れば、優勝に一歩及ばなかったとしても、戦った選手たちに対して「よくやった」「立派だ」という思いが高じるのは自然なことかもしれません。十分に優れた成績を収めてきたのだから、それをたたえさせてほしいし、選手たちには結果を誇ってほしい――そのような思いが「凱旋」という言葉の使用につながるのではないかと考えます。

今回のアンケートで答えてくれた人の判断が割れるのも、言葉を使うに当たってイメージする立場の違いを反映しているのではないかと感じました。「おかしい」を選んだ側も準優勝が偉くないと言っているわけではないし、「問題ない」を選んだ側も言葉の使い方をゆるがせにしているのではないでしょう。

ただし、「凱旋」の「成功を収めて帰って来ること」という語釈に付されている用例が「凱旋公演」という勝ち負けが意識されないものであることを考えると、勝敗が明らかなスポーツの大会のような場合はやはり、優勝した時以外は使いにくいという印象を持ちました。あえて使うという場合には、なぜ使うのかをよく意識することが必要だと思います。
]

(2018年09月14日)

質問に際して

察しのついた人もあるかと思いますが、高校野球選手権大会で活躍した金足農に関連してのことです。

NHKのニュースで、秋田県に帰った金足農野球部のメンバーが、県民の歓呼に迎えられる場面が映し出されていました。よくやった、頑張ったなと思いつつ見ると、画面の右肩には「準優勝金足農/凱旋(がいせん)に地元沸く」という文字。「へーっ」と思いました。「NHKはこういう時に『凱旋』を使うのか」

「凱旋」とは「戦いに勝って帰ること」(大辞泉2版)。金足農は一大ブームを巻き起こしましたが、残念ながら決勝では大阪桐蔭に敗れ、優勝は成りませんでした。すんなり「凱旋」とは言いにくいかなあ、というのが率直な感想だったのです。

ところが、その日に出稿された毎日新聞の原稿にも、金足農の帰郷について「凱旋」が出てきてしまいました。出稿部はぜひとも「凱旋」を使いたいと言います。「成功を収めて帰ってくること」(大辞林3版)との意味を載せている辞書もあるから、まるで無理とは言えないか……ということで「“凱旋”」というツメ付きの表現でしのいだのでしたが、こうした「凱旋」の使い方は一般的なものと言えるのでしょうか。

(2018年09月14日)

twitter

過去記事から