マイクなど機械を通した声でも「肉声」とするか否か、2010年代前半から複数の辞書で語釈に変化が起きています。新聞でも先日、作家の村上春樹さんがラジオでDJをした際の記事で「村上さんの肉声が電波に流れる」としていました…

録音についても「肉声」と言ってよいかについて伺いました。

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3分の2が、録音でも「肉声」

人の声を録音した「肉声テープ」……この言い方、どう感じますか。
肉声を録音したのだから問題ない 64.4%
録音なので肉声と言うのはおかしい 35.6%

 

「問題ない」との回答が3分の2近くを占めました。「肉声」は必ずしも生の声でなくともよい、という捉え方が広まっていることが分かります。

今回の質問に当たって幾つかの辞書を引き直したのですが、「肉声」は近年、語釈の変化がすすんでいる言葉のようです。回答から見られる解説では三省堂国語辞典の例を挙げました。改めて引用すると、6版(2008年)では「〔機械などを通さないで〕直接、人の口から出る声」とあったものが、7版(14年)では「人の口から出る声〔機械を通した声にも言う〕」となっています。機械を通した声でも「肉声」とするか否か、という点で180度の変更がなされていることに驚かされました。

しかし、変化は他の辞書でも起きています。広辞苑は6版(08年)で「マイクロフォンなどの機械を通さない、人間の口から出る生の音声」としていましたが、今年の7版では「マイクロフォンなどの機械を通さない、直接人間の口から出る声」が①となり、加えて「②人工的に作られた音声ではない、人間が出す声。③他人の朗読ではない、本人の声」という語釈が載せられています。特に②は、スマートフォンの読み上げ機能などで音声合成技術が身近になったことを反映しているようです。機械の発する音声に対置された「肉声」は、「人間が出す声」ならばマイクを通そうと録音だろうと構わない――と読めます。

大辞泉も初版(1995年)では「マイクや電話のような機械を通した声に対し、人ののどから出るなまの声」としていましたが、2版(2012年)では上記を①としたうえで、「②人工的に作り出された音声に対し、人が出す声。『―による車内放送』」という語釈を加えています。こちらは用例を挙げることでなおはっきりと、機械を通しても「肉声」と言えるのだと主張しているようです。

ちなみに刊行がもう少し早い辞書には「マイクなどを通さない、人間の口から出たそのままの音声」(大辞林3版、06年)のような語釈しかありませんでした。確認したものは他に▽新明解国語辞典7版(11年)▽明鏡国語辞典2版(10年)▽岩波国語辞典7新版(11年)。先に引いた三つの辞書と比べてみると、2010年代の初めごろに転機があったということになるでしょうか。

今回のアンケートの結果から見ても「目の前にいる人が、機械を通さないで発する声」だけを「肉声」とするのは、現在では狭すぎる捉え方になってきているようです。実のところ新聞でも、作家の村上春樹さんがラジオでDJをした際の記事では「村上さんの肉声が電波に流れる」とするなど、機械を通しても「まさにその人の声」であればよいという、広辞苑7版の語釈③のような使い方が多くなっています。「肉声テープ」も、もはや論議の対象にはならない言葉と考えるべきかもしれません。

(2018年08月31日)

質問に際して

8月4日の毎日新聞朝刊に、広島に原爆を投下した米機の機長らの声を吹き込んだテープが見つかったという記事が載りました。東京版は社会面に記事が載ったため、1面に短い記事紹介が出たのですが、そこには「肉声テープが見つかった」との記述。この使い方は是非が問われるところかも、と思いましたが、議論にはならなかったようです。

「肉声」は本来、「マイクなどを通さない、人間の口から出たそのままの音声」(大辞林3版)。望遠鏡などを使わないのが「肉眼」で、手ずから書いたものが「肉筆」なのと同様です。「肉声テープ」は録音した時点で肉声とは言えないのでは、と疑問が湧きます。

しかし辞書の記述にも、近年変化が表れています。三省堂国語辞典では6版(2008年)に「〔機械などを通さないで〕直接、人の口から出る声」とあったものが、7版(14年)では「人の口から出る声〔機械を通した声にも言う〕」に。この6年に何があったの!?と言いたくなる急転ぶりです。この変化は、皆さんの使い方にも即したものでしょうか。

(2018年08月13日)

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