校正されて書き込みがいっぱいのゲラを見て「うわああっ」と思ってしまった――。先月参加した「著者と校正者の関係」をテーマにしたトークイベントは、新聞校閲とはまた違う出版校正の世界や、はじめて「校正」を経験した著者の率直な感想に触れられる貴重な機会でした。

 

左から、出版レーベル「代わりに読む人」代表の友田とんさん、「うろん紀行」著者のわかしょ文庫さん、校正者の北村さわこさん

 

 東京・田原町にある書店Readin' Writin' BOOK STOREで開催された、「著者と校正者の関係 〜『うろん紀行』の著者・わかしょ文庫がはじめて校正を経験して〜」というイベントに参加しました。「うろん紀行」を8月に出版したわかしょ文庫さんが、初めて自分の書いた文章が校正されるという経験を通して感じたことなどを、実際に校正を担当した北村さわこさんと語り合うというものでした。

【久野映】

校正から戻されてきたゲラの書き込みを見て「うわああっ」

 初めて校正から戻されてきたゲラのたくさんの書き込み(原稿に多くの問題があったわけではなく、北村さんが疑問点や提案について丁寧に書き込んだため分量が多く見えてしまっていただけだったと後に判明します)を見て「うわああっ」と思ってしまった、と告白するわかしょ文庫さん。わかしょ文庫さんの言葉は、少し不思議で独特の魅力があります。この「『うわああっ』という感覚」という表現も、校正・校閲から指摘を受けたときに感じる、怖いような・焦るような気持ち、あるいはダメ出しされたように感じて少し嫌な気持ち、そんな「圧」のようなものをとても的確に、素直に言い表したものでしょう。校正・校閲は、する側がいかに「文章をよりよくしよう」と前向きな気持ちで行ったとしても、受ける側には身構えさせてしまう側面があるものだということを突きつけられたようにも思います。校閲記者になって3年目、原稿に赤入れしたり疑問や指摘を出したりということに慣れてしまいつつあった私にとって、はっとさせられる「うわああっ」でした。

筆者が書き込んだ「トル」の直し

 

 わかしょ文庫さんのその気持ちがほぐれていったのは「一つ一つ見れば納得できるものばかりだったし、嫌なことや怖いことを言われているわけではないと分かった」から。北村さんは、わかしょ文庫さんが初めて校正を経験するということも踏まえなるべく丁寧に書き込みの意図を説明するようにしたといい、「例えば、よくある指摘の一つ『トル』(不要な字を削除する)は、校正者にとっては『トル』と書くのが当たり前だけれど、慣れていない人にとっては『取れ』と強く命令されているように感じさせてしまう。『こうしますか?』などやわらかく書くようにした」とのこと。そんな心配りが、わかしょ文庫さんにも伝わったのだと思います。

 新聞の校閲では担当者とのやりとりの仕方や表記のルールなど書籍とは異なる部分も多いため、北村さんと全く同じやり方というわけにはいきません。それでも、受け取る側に「うわああっ」と感じたままにさせない伝え方を模索し、「見てもらってよかった」と思ってもらえる仕事をしていかなければ、と思いました。

「差別表現」は絶対に使ってはいけないか

 話はいわゆる「差別表現」の扱いについても及び、引用の扱いなどに関しての議論に多くの時間を費やしたことが語られました。新聞記者が差別的な意図をもって差別表現を書くことはまずありませんが、万が一にも意図せず読者に不快感を与えたり、傷つけたり、社会に偏見を広げることにつながったりする表現があってはならないと、敏感になってしまうテーマです。赤本(毎日新聞の用語集の通称)にも「気をつけたい言葉」という項目があり、もしもそれらの表現が原稿に登場したら、私は「何が何でも言い換えろ!」とばかりに迷わず直しを書き込んだでしょう。しかし「うろん紀行」の出版に関わった方々が慎重に、真剣に議論を重ねた経緯を聞き、単に言い換えたり排除したりすればよいということではないと気付かされました。赤本も「気をつけたい言葉」とその言い換え例などを挙げつつ、「単に言葉の『言い換え』にとどまってはならない」と促しています。大切なのは、なぜそのような言葉が存在したのか、その表現の何が問題なのか、一つ一つ向き合って考え、どう伝えるのかを責任を持って決めることなのだと肝に銘じます。

「著者の伝えたいことをはっきり伝えるために」

 「他人のゲラを見ることは校正・校閲にとって一番の勉強だ」というのはこの3年間校閲記者として働いてしみじみと感じていることですが、自社以外の、それも新聞以外の媒体の校正者の仕事に触れる機会はそう多くありません。今回はベテラン校正者の北村さんの仕事に間近で触れられただけでなく、校正された側が感じたことや、校正者の出した疑問がどのように検討され反映されたのかをリアルに知ることができる貴重な機会でした。

 特に印象に残ったのは、話の流れの中でさらりと出た「校正は直すためにあるのではなくて、著者の伝えたいことをはっきり伝えるためにするもの」という北村さんの言葉。校閲をしていて、「見逃しがないか」という怖さとともに「これは出過ぎた指摘かもしれない」というためらいを日々感じています。「こうした方がわかりやすいかな」と悩みつつ、これは他人が書いた文章の校閲であって自分の文章の推敲(すいこう)ではないのだから、と自分に言い聞かせていったん書き込みかけた指摘を消すこともしばしば。その疑問を出すか・出さないかを判断する線引きがとても曖昧なのではないか、という不安がつきまといます。少しは自信を持ってその線引きを判断できるようになるためのヒントは、「伝えたいことがはっきり伝わるか」という軸で考えることにあるのかもしれないと感じた夜でした。

筆者プロフィル
久野映(ひさの・はゆ) 2019年入社。大学では社会学を専攻していたほか、スポーツ新聞サークルで活動していた。そこであらゆるスポーツに触れた経験が、東京五輪・パラリンピックに関する仕事の中で少し生きたように感じてうれしかった。出身は神戸市。東京生活7年目ですっかり標準語になじんでしまい、地元に戻るとおかしな関西弁を話してしまう。

 

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