「言葉を観察して楽しめば、人生は豊かになる」。二大国語辞書「新明解」「岩国」のつくり手が、それぞれの辞書の個性や舞台裏、お互いの辞書をどう思っているかなど、なかなか他で聞けない話を存分に語り合った3月の講座。その内容の一部をご紹介します。

 

「新明解」「岩国」 夢の共演

毎日文化センター(東京)で3月19日、国語辞典のつくり手が対談するオンライン講座を開きました。日々言葉に向き合う中で辞書を引き比べている校閲記者として、つくり手に直接語っていただく場を設けたいとして企画したもので、平山が司会を務めました。

 

2019年11月に8版の出た「岩波国語辞典」(岩国)から編者で国立国語研究所准教授の柏野和佳子さん、20年11月に8版の出た「新明解国語辞典」(新明解)から三省堂辞書出版部部長の山本康一さん。辞書界で有名な2人とあって、カナダからも含め参加申し込みは130人に上りました。

山本さんと平山は同センターの教室でパソコンに向かい、柏野さんは東京・立川の自宅からオンライン参加という形をとりました。

講座の中で略称で話すことをお断りしました。岩波国語辞典は、柏野さんをはじめ岩波書店の方も辞書ファンの方も「岩国(いわこく)」と呼んでいますが、山本さんが普段「がんこく」と言っていると話したのでびっくり。「いわこく」では湯桶(ゆとう)読みなので「失礼だから」というのですが、柏野さんは「がんこく……なんだか怖いですね」、平山も「強そうです」と笑いました。

辞書の「編集者」と「編者」

まずは自己紹介としてこれまでの辞書とのかかわりを話します。山本さんは新明解以外にも「大辞林」「20世紀世界紛争事典」「例解小学国語辞典」「新明解類語辞典」「コンサイスカタカナ語辞典」など多くの辞典に携わっています。映画「舟を編む」では撮影に立ち会ったそうです。映画でいうと編者役の加藤剛さんに当たるのが柏野さんで、山本さんは編集部側のうち「オダギリジョーさんか松田龍平さん……と言いたいところですが、(ベテラン役の)小林薫さん」に当たると説明しました。

三省堂辞書出版部部長の山本康一さん

 

柏野さんは国語研での仕事として、体系的に収集された言語データベース「コーパス」を紹介しました。最近、「ひとりごちる」という言葉が話題になったときには国語研のコーパス「梵天」が3日間で8万人に利用されたそうです。

国語研のコーパス「梵天」

 

関連して、「三省堂国語辞典」編集委員の飯間浩明さんは「ひとりごつ」という言葉が岩国に「今も気取って言う人がある」と書かれていることをツイートしました。柏野さんは「これ、気がついていなかったんですけど……」と言いながら、「客観の岩国」と言われることもありながら、長らく編者を務めた水谷静夫さん(故人)の主観が入ったような記述もあることを話しました。

国立国語研究所准教授の柏野和佳子さん

 

「ゲシュタルト」と「ゲシュタルト崩壊」の差

また、柏野さんは「広辞苑」の改訂にも携わっています。中型国語辞典の広辞苑と小型国語辞典の岩国との違いとして、専門用語を入れるか入れないかということがあります。「ゲシュタルト崩壊」を挙げました。岩国にも心理学用語として「ゲシュタルト」は載っていますが、より専門的な「ゲシュタルト崩壊」はありません。広辞苑には「ゲシュタルト崩壊」について詳しく載っているというところが小型の岩国との違いなのです。

ところが、大学生である柏野さんの娘さんが、普通の会話で「ゲシュタルト崩壊」を口にしたことがあったそうです。そこでツイートを見ると「やればやるほどゲシュタルト崩壊しそう」などと一般用語のように使われた例が結構見つかったそうです。こうなってくると岩国にも載る可能性が生まれます。

電子版と書籍版のメリット・デメリット

山本さんは辞書の電子化に携わった経験から、辞書の電子版、冊子版のメリット・デメリットについて以下のようにわかりやすく対比させて解説しました。

電子版 冊子版
スペースの制約からの解放 情報の圧縮・精選
ピンポイントのアクセス 一覧性と周辺の語への見渡し
フレキシブルな表示形態の変更 均整のとれた端正な紙面
大量の付属情報による拡張可能 総体の視覚的把握が可能

 

このように、一方のメリットは裏返しで別の方のメリットでもあったりするのですね。

最新版で“こだわった”のは?

次に、それぞれ最新版について存分にPR。

柏野さんは日常会話コーパスで「別に」が相づちのように使われることがわかり、「いいえ」の意味や「『特に差しつかえない』の意味で『別にいい』と使う」という注記を加えたそうです。

また、19年6月に開かれたある研究会で、「おしろいをはたく」のような付着させる場合の意味がどの辞書にも載っていないという発表があり、その場が騒然としたそうです。当時岩国8版が入稿を終えて編集段階に入っていたため、柏野さんは慌てて編集部に「どうしても入れたい」と連絡し、字数制限のある中で何とか入れたそうです。

岩国7版

岩国8版

 

岩国はぎりぎりでしたが、翌年改訂の新明解は変わっておらず、「山本さん、これは変えなくてよいということですか」。山本さんは「新明解は①にある説明で(付着の意味も)辛うじてカバーできているかなということです。もう少し踏み込んだ方がよかったかもしれませんが」。

新明解8版

 

山本さんは8版で「考える辞書」ということを打ち出したと話します。例えば、「傾く」は単に「斜めになる」だけでなく、「水平または垂直方向に伸びることの期待されるものが、何かの事情で」と加えています。

新明解7版

新明解8版(強調は引用者)

「傾く」には「建物が」「家運が」「日が」などがあり、それぞれ語義を分けて記述する辞書もあるが、新明解はこのような一文を加えることによって一つの語釈で説明ができるというわけです。こうして一つ一つの語の意味を考え抜いているのだといいます。

 

語の中心の意味を書いているので、例えば「そんたく」や「沼」の新しい使い方についても語釈を分けるのではなく、注記や用例で記述することができるのです。

新明解8版

新明解8版

 

また、意味・用法について再考したものとして「熱量」を挙げました。「物が燃える時に出す熱の量」という語釈だったものを、映画の作品について「同じくらいの熱量でできるもの」といった文があり、これはジュールやカロリーでいう熱量とは違うだろうと考えて、「近年、『熱意』『熱気』の意で用いることがある」という注記を入れたそうです。「確かにそうですねえ。まだうちは手当てできていなくて」と柏野さん。

相手の辞書、どう思う?

それではと、相手の辞書をどう思っているか尋ねました。

山本さんが「これを言いたいということがありまして……」と紹介したのは水谷さんの論文。「目は能く物を見るけれども、しかも自らを見ることは出来ない。鏡中に認める目は、目そのものの影に過ぎない。言語は外界を写すけれども、言語をもって言語を語り尽すことが出来ようか」という文を引き、「非常にかっこいい。しびれますよね。これは語釈を考えるときに避けて通れないところです」と話しました。「科学の岩国」と呼び、語釈にも科学的な割り切りがあるといいます。その一方で新明解は不可能に近いことがあってもできる限り言葉を尽くしていこうという姿勢なのです。

 

柏野さんは「新明解はよく『読んで面白い』と言われ、ネットでもさまざまに取り上げられています」と話し、語釈を似たもので説明する例を挙げました。その一つ「たらこ」は柏野さんが初めて辞書にかかわったころ、ある先生が「いやあ、これはすごい」と笑ったものだそうです。「普通、一腹がサイドカーのように並んでおり」と書かれています。「最近はあまり走っていないと思いますが、初版が出た1970年代はサイドカーがはやっていたんですね。それで気に入って入れたんでしょうけど……これは6版まで。どうして7版でやめちゃったんでしょう」と問い掛けました。

山本さんは「まあ、今はサイドカーをあまり見ないので……」と苦笑い。「今は『二列に並んでおり』という書き方ですが、そう言ってもわかるだろうと。いかにわかりやすいかというところを意識した結果です」

柏野さんは新明解8版の注目点として、文法について挙げました。8版で「のではないか」が項目として立てられ、文法的特徴が説明されていることについて「残念ながら岩国にはないんです。次は入れたいと思っています」。

新明解8版

 

このように、ほかの辞書を見て参考にしているのですね。

校閲も辞書も悩む言葉

柏野さんは「堅い・固い・硬い」の書き分けについて岩国の方が詳しいということを紹介しつつ、「平山さんに聞きたいんですけど」と毎日新聞の表記はどうか尋ねました。

毎日新聞用語集

 

「硬い表情」「口が堅い」などおおむね共通していますが、用語集に挙げられていない言葉では「迷ったときは岩国を引きます」と言いました。

岩国8版

 

山本さんが「岩国、素晴らしいです」と言えば、柏野さんも「だって新明解、大好きですから」と言い、結局2人とも相手の辞書を褒めてばかりでした。

「数人」「数十億」などの「数」って

最後に、校閲を悩ませている言葉について問いました。二つ紹介します。

「数人」「数十億」などの「数○」について。毎日新聞用語集では1992年版まで「五、六」だったものを96年版から「四、五前後」としています。最近では「二、三」に思う人もいるようで、読者によって数字について受け取り方が異なると使いにくいのです。

新明解8版

 

山本さんは「新明解でも6版までは『三、四から五、六』としていたのですが、7版から『二、三から七、八の』と広げてきていますね」と話し、柏野さんも「まさに私が学生時代に水谷先生が『七、八』と言っていて、それは多すぎるという感覚でした。岩国は水谷先生の感覚から『四から六』として『(または七)』を残しているのかなと思います」と言いました。ここにも特徴が表れていますが、辞書も悩んでいるのですね。

岩国8版(強調は引用者)

 

「壮絶」の変化、辞書はまだ

「壮絶」についても尋ねました。例えば戦時中の体験について「壮絶な」と書かれた原稿を見ることがあるのですが、壮絶は新明解も岩国も語釈に「勇ましい」という言葉があり、悲惨な体験には合いません。

柏野さんは大学の授業で学生の提出した用例を紹介しました。「壮絶ないじめ」「壮絶な虐待」など、悲惨とか過酷といった使われ方があり、さらにツイッターには「壮絶に体調悪かったけど」「壮絶にかわいい」などと「勇ましい」も「過酷」も落ちてしまって単に程度が甚だしいという意味で使われている例があったそうです。柏野さんは「『やばい』もそのようなところはあるのですが。ツイートにあるような壮絶を国語辞典に載せるのはまだ早いか……と思うのですが、いかがですか山本さん」。山本さんは「まあ、まだ難しいですかね」とやはり困った様子でした。

 

「いけメン」か「いけめん」か

関連で、今度は「辞書も悩んでいる」ということで、山本さんが「辞書の仮名見出しは何を表しているのだろうか問題」について話します。その中に「イケメン問題」があるそうです。一般には「イケメン」と書かれることが多いが、見出しとしては新明解は「いけメン」、岩国は「いけめん」となっています。和語である「いけてる」からきているので「いけ」と平仮名。「メン」をmenからと考えれば「メン」、「面」からとすれば「めん」になり、それによって表記が変わるのです。

「言葉の観察は豊かな趣味」

そんな話をしているうちに、もう時間切れです。

山本さんは「辞書は楽しいですよね。新明解の語釈は面白いと言われますが、つくり手としては実感をもってもらえるように一生懸命書いた結果です。辞書を引くことによって日常生活の中で言葉と向き合うきっかけが広がることになるとうれしいと思います。ぜひ辞書を、しかも複数引いてもらうと言葉と向き合うことができるのではないでしょうか」と話しました。

柏野さんも「言葉を観察して面白がるということはどこでもできる豊かな趣味だと思います。いろいろな言葉を見て、辞書を引いて面白がれるものがたくさんあるので、そうしたことを積み重ねるだけで人生が豊かで楽しくなると思います。私もこれからもますます国語辞典を楽しんでいきたいと思います」と話しました。

ここまで、ほんの一部を紹介しましたが、あまりに楽しくて盛りだくさんの90分でした。視聴者の方へのアンケートに「やっぱり辞書って面白いですね」「今日の(3人の)話を引き続き聞きたい」といった回答があり、やってよかったのだとほっとしました。またこうした機会を設けられたらと思います。

【平山泉】

平山泉 1992年入社、2006~08年の大阪時代を含め一貫して校閲記者を務める。現在は校閲センター東京グループ副部長。早稲田大学第一文学部日本文学専修(国語学)卒。卒論は待遇表現がテーマだった。18年に「国語辞典ナイト」に出演するなど講座・イベントにも積極的に取り組み、校閲や辞書、日本語についての発信を続ける。(担当した記事の一覧はこちら

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