米誌ニューヨーカーの元校正者メアリ・ノリス氏がその経験を基に書いた本「カンマの女王」を2年目の校閲記者が読んでみました。言語は違えど、校正者がたったの一文字や一つの記号にまで神経を使っていること、表現一つに悩み、迷いながら仕事をしているのは同じでした。

 

 数カ月前、校閲を始めて2年目の所感を校閲ブログに書かせていただきました。ひたすら「日本語は難しい」と書きました。そのせいかは分かりませんが、先日デスクに一冊の本を手渡されました。「カンマの女王」(有好宏文訳、柏書房)。米誌ニューヨーカーの元校正者メアリ・ノリス氏が校正の経験を基に書いた本で、つい最近邦訳され話題になっているとのこと。一通り読んで、私は一貫して抱いてきた所感を一文字だけ訂正することにしました。「日本語も難しい」と。

「難しさは日本語特有」ではなかった

 正直なところ、校閲の難しさは日本語特有のものだと漠然と思っていました。例えば送り仮名。「証し」の表記は、flumpoolや嵐を聴いて育った世代の私にはやや受け入れがたかったし、相撲の「取組」は送り仮名なしで、一般用語としての「取り組み」は送るなど、使い分けも多く覚えるのに苦労しました。

 他にも「内臓」→「内蔵」のような形の似た同音異義語はよく直しますし、形は似ていなくても根幹の意味の重なりが大きい「変/代/換/替える(わる)」などは、何度赤本(毎日新聞の用語集の通称)をにらみながら悩んだか分かりません(そして、悩んだ末の直しを再校者に直される……難しい)。旧字体などの異体字は「倶」と「俱」など、よくよく見ないと分からないような小さな違いのものも多く、何度も泣かされました。数字表記を洋数字にするか漢数字にするかは想像以上に悩む場面が多く、助詞はたった一文字が意味をひっくり返してしまうことがあり、気が抜けません。

 これらは全て日本語特有のものです。英語の校正というと「スペルミスを直すのかな」という程度の想像しかできませんでした。そのスペルミスも、日本語で例えるなら「新型コロナウイ『スル』」のような、悩む必要も無いような明白な誤りだと思っていました。

 そんななめきった先入観は1章の2ページ目で吹き飛ばされました。「ニューヨーカー」の表記法にあわせて、スペルを直す記述に遭遇。スペルの違いは、アメリカ英語とイギリス英語の差くらいしかないと思っていました。同誌のスタイルブック(表記法の手引)もあるそうです。私たちにとっての赤本のようなものでしょうか。そしてこうも書いていました。「英語という言語には、スペルを間違わせようと手ぐすね引いて待ち構えている単語がごまんとある」――日本語と同じだ!

やはり英語でも「言葉は変わるもの」

 特に興味深かったのは、原題でもある“Between you and me(慣用表現で、「ここだけの話」)”にまつわる部分。Betweenのような前置詞の後などに一人称を置く際には、目的格のmeを使うのが文法的に正しいです。なるほど、私のおぼつかない英語力でも理解できます。しかし、多くのネーティブは“Between you and I”と言うそうです。印象深かったのは、ノリス氏の友人が息子に対して同種の誤りを指摘した時に、返ってきたせりふ。「言葉は変わっていってる」「みんな(中略)and meのほうが間違ってると思ってるよ」。英語でもやはり「言葉は変わるもの」なのか。校閲にとって、とても重い言葉です。

写真はイメージ

 

 meがIになってしまう理由にも言及されています。meには打ち解けた雰囲気があり、公の場で話すことをためらわせるというのです。英語に一人称のバリエーションがないことは不思議に思っていましたが、やはり使い分けたくなることもあるのだな、と妙に納得してしまいました。そういえば、セサミストリートのクッキーモンスターの一人称は主格でもmeです。日本語で「ぼく」にあたるような表現なのでしょうか。

「言葉を正しく使い最大の効果をあげる」

 駆け出しの校閲記者として、耳が痛い話もありました。校正者(ノリス氏)が、物語の登場人物が使っているある単語について、もっとふさわしい単語があるのではないかと著者に問い合わせ、却下されたエピソードです。その章はこう締めくくられていました。

 「大事なのはスペルではない。言葉だ――正しい言葉を正しく使い最大の効果をあげることだ。校正者の仕事は単語を正しく綴ること(中略)そして、スペルのもう1つの意味を大切にすること――作者のとなえる魔法(スペル)を」

 ……うまくまとめてきたな、と思うと同時にくぎを刺されたような気分になりました。新聞校閲の仕事も、記者の伝えたいことを、正確に、誤解のないように伝えることだと思っています。私が仕事で読んでいる文章は私のものではないことを忘れないようにしなければと思わされました。

 他にも、コンマをはじめとする多種多様な句読記号にまつわるエピソードなど、面白い話がたくさんありました。ユーモアに富んだ筆致で、非ネーティブの私にも面白く読めました。言語は違えど、校正者がたったの一文字や一つの記号にまで神経を使っていること、表現一つに悩み、迷いながら仕事をしているのは同じでした。

【神尾春香】

関連記事

 

国語辞典は楽しい! オンライン講座

 びっしり文字が書かれていて分厚い国語辞典。家に辞書はあったと思うけど、言葉の意味はネットで検索すれば済むし――なんて思っているあなた! 国語辞典は個性があって楽しいものなんです。「人」がつくっているのですから、一つ一つの短い文にも思いが込められています。

 今回、一昨年改訂の「岩波国語辞典」、昨年改訂の「新明解国語辞典」のつくり手による対談が実現。日々言葉に向き合いながら辞書を引き比べる校閲記者が、それぞれの辞書の魅力に迫ります。

 3/19(金)18時半~20時開催、受講料は3300円(税込み、1週間アーカイブ視聴可能)です。

フォローすると最新情報が届きます

Twitter