「相手の話す言葉を校閲しない」のが暗黙のルール。「昔、むきになって怒られたことがあって」。ある校閲者同士の夫婦は「家にゲラを持ち帰った時、意見を求められるのは助かる」「今日読んだゲラめちゃくちゃだったよ、と話せるのはとてもありがたい」と教えてくれました。

写真はイメージ

 

 意地の悪そうな女性インタビュアーが、ある夫婦にインタビューをしています。夫婦の暮らす立派な家の、豪華な応接間。ビロードのソファで2人は寄り添い、見つめ合います。「本当に2人は理想の夫婦だわ! 心から愛し合っているのね!」。インタビュアーは手を広げ、ため息をついてみせます。

 妻が「子どもたちの様子を見てくるわ」と言って席を外し、夫が「失敬、電話を一本」と部屋を出て行くと、インタビュアーはこっそり、隣の部屋へと続くドアを開けてしまいます。そこには、脱ぎ散らかった服、汚く転がる靴……。誰かが帰ってくる気配を感じ、インタビュアーは慌ててドアを閉めます。帰ってきた妻ににっこり、インタビュアーは問います。「ねえ。愛って何?」。妻は困った顔をし、ようやくこう言葉を絞り出します。「夫婦に必要なのは、思いやりの心と、いつくしみと、ユーモアと、寛容の心。それがあれば、愛は関係ないわ」

 つまり妻は、夫婦と愛を切り離していると、素直に白状したのです。(イングマール・ベルイマン監督「ある結婚の風景」第1話「無邪気さとパニック」)

 さて、この映画の夫婦はどうなっていくのでしょうか?

 

 夫婦の話です。以前、「校閲者同士のカップルってあり? なし?」と「毎日ことば」に書いたことがありました。その声を拾った上司に、指令を出されました。「校閲者同士の夫婦の実態を調べてみたまえ」。え、でもそんな、立ち入ったことを聞くのはあんまり……「これは命令だ。なお、このテープは自動的に消滅する」。私は意を決して、ある校閲者夫妻に話を聞きに行きました。

 夫、40代。妻、30代。2人はビロードのソファでなく、木製の椅子で寄り添い、時に見つめ合いながら、質問に答えてくれました。

――仕事の話を家でしますか?

 細かいゲラ(校正刷り)の内容まで話します。仕事の話は、毎日します。結婚当初は、「家で仕事の話をするのはチョットね」と言っていたのですが、いざ、結婚してみると毎日話しています。

 

――日常の風景の中で、校閲をしてしまいますか?

 しません。鬼の首を取ったようなことは、もうしません。そんな時期は過ぎました。

 あえて、しないようにしています。もちろん言葉の間違いを見つけることはありますが、口には出しません。

 

――校閲者と結婚してよかったことは?

 大変さを共有できること。大して言葉を交わさなくても、状況が分かるのは楽です。家にゲラを持ち帰った時、意見を求められるのは助かります。

 今日読んだゲラめちゃくちゃだったよ、と話せるのはとてもありがたいことです。

 

 冒頭の映画の夫婦はある日、友人夫婦が激しくののしり合う場面に居合わせます。その夜、妻は夫にこう言います。「あの2人、言葉が違うのよ。翻訳しないと理解し合えない」。それに引き換え、「私たちは何でも理解し合える。同じ言葉を話しているからよ」と満足そうに言いきります。

 校閲者の夫と妻は、間違いなく、同じ言葉を話していました。原稿の内容や、校閲作業に関わる言葉はもちろん、概念としての「校閲」を共有していると感じました。ある文章に違和感を覚えて、どのような過程を経て、どう直したか。こういう具体的な道のりを説明するのは、誰に対しても同じようにできることです。しかし、その違和感の出どころ、過程の煩雑さ、たどり着いた答えと、結果のたまの不一致。そういった周縁の曖昧な部分が、共通概念で、あるいは共通言語だとしたら、それは毎日繰り返し赤ペンを持って文章に向かう校閲者にしか共有できないものでしょう。職場を離れ、家の中でその言語を用いることができるのは、特別なことだと思いました。

 

――校閲者同士の結婚で、暗黙のルールはないのですか?

 相手の話す言葉を校閲しないようにしています。エチケットとして。昔、「その言葉遣いは違うんじゃない?」と言ったら、むきになって怒られたことがありました(「そんなことあったかしら?」と妻)。そうやって衝突しないように、無意識に、揚げ足取りのようなことはしないようにしているのだと思います。

 確かに、そういうところはありますね。

 

 のちのちに分かってくることですが、実は映画の夫婦は、同じ言葉を使ってなどいなかったのです。同じ言葉を使うふりをしながら、分かり合えない本音はじゅうたんの下に隠していたのです(「ある結婚の風景」第2話「じゅうたんの下を掃除する方法」)。やがてそれは白日の下にさらされ、2人は別れを選択します。隠し続けて地層のようになった本音を激しくぶつけ合い、2人はボロボロになりながら離婚届にサインします(第5話「無知な者たち」)。

 校閲者の妻は、家の中には仕事を持ち込むが、日常に校閲は持ち込まないと言いました。テレビのテロップの誤字を指摘したり、目の前の夫や友人の発言を直したりはしないというのです。これは、妻の信念でもありました。夫はそれを、理解しました。それも、じゅうたんの下に隠すのではなく、見えるところの棚に置いて、空気のように慣れたのです。「エチケット」は「無意識」のものだと、夫は言いました。

 

――校閲者の共通点って、なんだと思いますか?

 校閲は受け身の仕事です。だから、頼まれると断れない人が多いと感じます。多少の我慢ならしてしまうというような、いい人が多いと思いますね。

 私たち夫婦は2人共、フルマラソン経験者なんです。共通点って、言えるでしょうか?

 

――そんな2人が夫婦をやっているなら、衝突もしないし、さぞ穏やかな日々でしょう?

 彼、思い描いていた人と違ったかもしれないと、よく思います。私たちは、違うところばかりなんです(夫のいない時にこっそりと)。

 

 ある校閲者の夫婦のお話です。2人は同じ仕事を選んでおきながら、共通点よりも違いを多く見つめていました。積み上がった地層は、この夫婦においては、理解という名前でした。私も思い出しました。違和感を覚えた原稿にこそ、のちの親近感があるのだということを。

 最後に、手元にある本から、老小児科医の言葉を引きます。

 「恋愛は相手のなかに完全人間をみるのだが、家庭は相手の不完全人間の承認のうえになりたつのだ」

【湯浅悠紀】

 

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