「時と場合、人、媒体によって使うべき言葉は変わる」「校閲は日本語を守っているなどと言われたことがあるが、日本語はそんなやわじゃない」。国語辞典編さん者の飯間浩明さんと8月に開いた対談講座は、本当に楽しく有意義なひとときでした。

 

飯間浩明さん(右)と平山泉記者

教室+オンラインで遠方からも

 8月1日、NHK文化センター青山教室で三省堂国語辞典編集委員の飯間浩明さんとの対談講座を開きました。

 教室だけの開催ではなく、新型コロナウイルス感染防止の措置としてオンラインでも参加できるようにしました。透明なアクリル板を置いたのでマスクなしで話すことができましたが、スライドをスクリーンに映したりすることはできないという制約もありました。オンラインでは北海道から四国まで、そしてイタリアからも参加してくださって計63人、教室に来てくださった方を合わせると81人でした。

 

 飯間さんとの「なれそめ」はお知らせ記事「国語辞典編さん者の飯間浩明さんと平山泉記者が対談講座」に書いた通りです。この日を緊張しながらもとても楽しみにしていました。

 

 さまざまなテーマで話しました。最初は「終息か収束か」など、書き分けの微妙な言葉について。飯間さんから、中国語では「終息」と「収束」の発音はかなり違うので「同音異義語」でなく全く別の言葉として考えられ、あまり書き分けに悩まないで済むのではないかという話がありました。

目上に「なるほど」「ご苦労さま」は失礼か

 話し言葉も取り上げました。例えば「なるほど」という相づちを目上の人に対して使っては失礼だと一部で言われているそうです。マナー本によっては、逆に、相づちが大切だという例の一つに「なるほど」を挙げているものもあります。また、飯間さんによると、目上に言っては失礼とされる「ご苦労さま」はマナー本の中には同僚に対しても失礼だと書かれているものもあるとのことです。

 「場合によるんですよね。例えば同じ町内の人が共同花壇に水をやっているのを見たときに『いつもご苦労さまでございます』と言うといいと思いませんか」と飯間さん。確かに、「お疲れさま」は合いません。目上かどうかでなく、場合ごとに合う合わないがあるわけです。

 思わず「飯間さん、マナー本を書いてはどうですか」と提案してしまいました。マナーというのは「この言葉がいけない」という法律のようなものではなく、場面に合わせて自分で判断して言葉を選ぶことが大切だという飯間さんのお話を書いてもらえたらと思いついたのでした。

 次に「このことば いる?」と題し、まずは講座のタイトルにある「2人対談」が気になったかどうか教室の受講者に問いかけてみました。やはり数人の手が挙がります。つまり、「対談」は2人でするものなので、ダブり感があるというわけです。簡潔明快な表記を目指す新聞なら「2人」を削除すべきところです。今回はタイトルをあれこれ考えるうちに「2人対談」になってしまっただけで、話題にするためではありませんでした。とはいえ、いわゆる「重言」は必ずしも悪いものとばかりはいえず、あえて強調するために重ねて言うこともあるという話になりました。

「辞書にないから間違い」?

 また、「関係性」という言葉について社内で問題視する声があったという話をしました。

 飯間さん「AさんとBさんの関係性がよく表れた……とか言いますね」

 平山「それを『関係』といえばいいと。しかも、『関係性』は広辞苑に載っていないから間違いだと言う人までいて」

 飯間さん「広辞苑になかったら全部間違いかと」

 平山「はあっ? いちいち『性』つけた語を載せるわけないやろっ……と、辞書をつくる側でもないのに怒ってしまいまして」

 飯間さん「校閲の人はそんなふうに怒るんですか」

 平山「あ、こんなふうに言うのは私くらいか……」

 冷静な飯間さんの解説は「『2人の関係性が表れた作品』は『関係が表れた作品』とは違いますね。『関係』と関係の『性質』や『傾向』を物語るのとはちょっと違う。ですから、この場面にふさわしくないと言われれば納得できるけれど、この言葉が間違いだと言われると、それは違うと。ましてやその根拠が広辞苑にないからと言われると……なんじゃそりゃと」。

 「辞書をつくっている方としてはどうですか」と伺いました。

 「辞書にないから間違いとか、辞書に載っているから正しい言葉ということではないですね。辞書はみんなの使っている言葉をあたかも言葉の地図を作るように正確にうつしたものです。みんなが『ざけんな!』とか言っていれば、『ざけんな』も辞書に載せなければならない。それで正しい日本語とかいうことではないですね」と話してくださいました。

「辞書を相談相手に」

 次は片仮名語です。新聞では年配の読者が多いこともあり、片仮名語の多用は避けたいところなのですが、新型コロナウイルス関連では次々新たな片仮名語が出てきて困っていました。ところが、飯間さんは必ずしも片仮名語は悪いものではないと言います。漢語では使われる音が限られ、印象に残らないからです。そうだとすれば、校閲としては、片仮名語は仕方ないとして、せっせと「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」のように注釈を入れていかなければと思いました。

 「疑問に思った言葉については、辞書を手元に置いて相談相手にしてほしい」と飯間さん。というわけで、最後のテーマは「辞書の違いについて」。

 「平山さん、それ、びっくりしたんですが、持ってきたその辞書を見せてください」。職場で使っている三省堂国語辞典はかなり赤く汚れており、飯間さんは「血しぶきのよう」。赤ペンを手に引くのでどうしてもついてしまうのです。

 文字やちょっとした意味を確認する程度なら手元の辞書で足りますが、校閲では微妙な言葉の使い分けなどで迷う場面が多く、そんなときは何冊もひっくり返して調べています。時には「三国(三省堂国語辞典の略)だけ(新しい用法を)認めちゃってるよ」ということもあります。「今使われている言葉」を映そうという姿勢が三省堂国語辞典にあるからですが、そうした特徴を押さえながら引きます。

 時間さえあれば、それぞれの辞書がいかに魅力的で、いかに校閲の仕事に役立っているか、もっと紹介したかったのでした。

「校閲は日本語を守っている」わけではない

 午後8時半までというもともと遅めの時間だったので、急ぎ質問コーナーに。たくさんいただいたのですが、一部を紹介します。

 質問:三省堂国語辞典は「今使われている言葉を入れる」というが、ソーシャルディスタンスなどが次の版に追加されるのか。

 飯間さん:新しい言葉を取り入れたいのですが、この先10年普通に使われる言葉を載せたいんです。2、3年だけの言葉なら、もう「現代の言葉」ではなくなってしまいます。今年出てきた言葉は、これから判断しなければならないと思います。

 質問:小学校教諭をしているが、この“業界”での文字遣いで疑問に思っていたことがあって、「持」の字は手に持てないもの、例えば「考えを」のような場合は「考えをもつ」と平仮名で書くことになっている。校閲としてどう思うか。

 平山:新聞で「考えをもつ」という場合でも「持つ」を使います。それとは別に「以て」は常用漢字表外読みなので「もって」と書くという書き分けはしていますが。

 質問:講座の中で、講師2人の見解が割れたことがあったが、それは辞書編さん者、校閲記者のどういう違いからくるのか。

 2人:違ったことがありましたっけ……。

 飯間さん:例えば、(話し言葉のところで出てきた)敬語のことでしょうか。「ご質問する」といった言い方は新聞では使わないという……。見解の相違ではないですね。

 平山:新聞は紙に文字で書かれるもので、不特定多数の読者が違和感のないようにすることが大事です。そのため使う使わないということはあります。見解というより役割の違いですね。

 飯間さん:言葉はあらゆる場面でだめということも、あらゆる場面でOKということもないんですね。時と場合、人、それによって使うべき言葉が変わります。あとは媒体。新聞ならいいけどテレビニュースではやめとこうとか。言葉には時と場合、人、媒体があるんだよということを力説したいですね。

 平山:はい。言葉がこうあるべきであるということでなく、新聞の言葉はこうすべきであるということがあるだけです。社内で「校閲は日本語を守っている」のようなことを言われたことがありますが、とんでもない、紙面の言葉については守るというか、わかりやすく書くようにとかはしているが、日本語を守るなんておこがましいし、日本語はそんなやわじゃない。

 飯間さん:日本語は日本語としてそこに存在していますからね。

 平山:はい。今日ここでお話ししたことで、言葉自体は自由だということが伝わればと思います。

 飯間さん:言葉は自由だということは、まさにその通りですね。

 

 最後は思いがけずよい質問をいただいて「締める」感じの会話になりました。内容は多岐にわたっていたのですが、最後の飯間さんのひとことで表されていたように思います。

 今回は緊張してしまってうまく話せたか自信はありませんが、個人としては、飯間さんとお話しできて本当に楽しく、有意義なひとときでした。飯間さんとは今後も何かとお会いできると思いますし、NHK文化センターの方が「ぜひまたお二人で」と言ってくださったことを真に受けて、また今回のような機会をつくれたらと思います。

【平山泉】

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