「日本語を使って生活する方たちが、円滑に意思疎通を図れるように改善していくのが国語施策です」。常用漢字表などの国語施策は校閲記者の仕事にも深く関わります。文化庁国語課の武田康宏調査官にその経緯や現状を聞きました。

 

 内閣告示として出された「現代仮名遣い」や「常用漢字表」は、校閲記者の仕事にも深く関わるものです。そうした国語政策を議論するのは主として文化審議会国語分科会(旧国語審議会)ですが、政府の側の事務局が「文化庁国語課」。その文化庁国語課の武田康宏調査官に、国語施策の経緯や現状についてお話を伺いました。

 

常用漢字表
「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」。2136字と、その音訓が示されている。2010年に改定された。新聞の用字用語も原則として常用漢字表を基にしている。

常用漢字内での字体の混在

 ――2010年改定の常用漢字表で1点しんにょうと2点しんにょうの字が混在しているのは、初めて見る人は不思議に思うのではないでしょうか。まあ、その前(2000年12月)に表外漢字字体表が出て印刷標準字体として2点しんにょうの字を示してしまっているので、仕方がないのかもしれませんが。先に常用漢字表の改定があればよかったのかなあと思うこともあります。

 

表外漢字字体表
2000年に国語審議会が答申。当時の常用漢字表(1981年制定)に含まれない1022字について旧字体を基本とする「印刷標準字体」を示した。一部は2010年の常用漢字表に追加された196字に含まれ、略字体である元からの常用漢字と字体の形が異なっているものがある。

 

武田さん:表外漢字字体表は、おおむね、いわゆる康熙字典体、違う言い方をすると旧字体、正字体などと呼ばれる方を取りました。表外漢字字体表の検討では、書籍を中心に印刷文字の字体を広く調査しています。その結果を反映しているということです。書籍に用いられている表外字では、いわゆる康熙字典体の方が圧倒的に優勢だったわけです。

 そして、表外漢字字体表の外にも何万もの漢字があります。表外漢字字体表に挙げられた漢字は1022字でした。その範囲だけに昭和56(1981)年の常用漢字表と同様の字体を示したとしても、更にその外にあるものはどうするんだという話になってしまいます。

 平成22(2010)年に改定された現行の常用漢字表の中で字体が混在しているのも、表外漢字字体表との一貫性やJISコードとの関係などからすれば、最も混乱を起こさない選択だったということかと思っています。

表外漢字字体表が内閣告示でない理由

 ――「当用漢字字体表」(1949年)や常用漢字表などは国語審議会・文化審議会が答申した後内閣告示されているのに、表外漢字字体表は文化審議会が答申したところで終わっています。これはなぜですか。

武田さん:たしかに表記の問題なので、内閣告示になってもよかったのではという話を聞くことがあります。実際、表外漢字字体表は相当の効力を発揮しています。ただ、その存在はあまり知られていない。その現状も考えると、知るべき人が知っていればよい存在で、内閣告示にするまでもなかったと考えることもできるのかと思います。国語関係の内閣告示は五つあります。これらは、学校教育にも関係するものなんですね。表外漢字字体表は「表外」なので学校の教育課程には直接の関係がないといった面もあります。

 とはいえ、高校で国語を教えていた頃は、教科書では森鷗外のオウは「しなかもめ(鷗)」でしたが、教材をワープロで作ると「バツかもめ(鴎)」で印刷されてしまい、生徒に「何で違うの」と指摘されるといったこともありました。そういうところでは、学校教育にも関わる話ではありますね。

 

鴎と鷗
教科書でも使われる伝統的な字体は、「鳥」の左側が「區」の「鷗」だが、1983年制定のJIS規格では略字体の「鴎」が採用され、ワープロ等の一般的な電子機器では「鷗」を表示・印刷できなかった。2000年の表外漢字字体表で「鷗」の字形が示され、同年制定のJIS規格で追加されたことによって、その後、両方の字形を使用できるようになってきた。

 

 ――常用漢字表改定のときは告示までどういう流れをたどったのですか。

武田さん:文部科学大臣の諮問に基づいて、文化審議会国語分科会で5年以上の時間をかけて検討をしていただいた結果が「改定常用漢字表」として文化審議会から答申されました。それが平成22(2010)年の6月7日です。その後、内閣官房と内閣法制局と文化庁を中心に、どのように内閣告示として実施するのか政府内で検討を重ねました。そして、同じ年の11月30日に、総理大臣の名前で「改定」のとれた「常用漢字表」として官報に掲載されました。

漢字施策が効果を発揮してきた現状

 ――常用漢字表や、それを元にした新聞の用語ルールは「使える漢字や言葉を規制している」との批判を聞きます。しかし、正しさの基準ではなくてあくまで目安であり、学ぶ人に「ここまで学べばいいんですよ」という範囲を示す役割があると思っています。新聞も誰もが読むからこそ皆が分かるための用語のルールがある。

武田さん:そうですね。常用漢字表の改定の時に書籍(凸版印刷の版下データを使った)▽新聞▽ウェブ――における漢字の出現頻度を調査しました。その結果、書籍やウェブで使用されている漢字のうち、旧常用漢字表の1945字の占める割合は、96~97%でした。そういう結果になるのは、常用漢字表が漢字使用の範囲として働いている面もあると言えるし、世の中で流通している漢字の実態を反映するように常用漢字表が作られているとも言えると思います。学校では常用漢字表に従って漢字を教えていますが、世間の人々は常用漢字表というものをいつも特に意識しているわけではありません。常用漢字表と世の中における漢字の使用状況、それに学校教育での習得目標が大体一致している、そういう現状は悪くない状況だと思っています。

 ――文化庁に司令塔みたいなことを期待している人たちがいます。記者への教育で、なぜこの漢字を使わないといけないかという話をするんですが、「こういう経緯があるからこれに従ってください」と言っています。それ以外に説明しようがないんですね。

武田さん:戦後の漢字政策が批判されることがありますが、明治期から漢字の数をある程度絞って、字体も簡単にするということは、文部省の悲願だったんです。それはやっぱり「広場の言葉」としてということもあるし、教育しやすいもの、習得しやすいものにするという目的がありました。戦後のどさくさに紛れて漢字を変えてしまったという批判がありますが、常用漢字表に至る漢字施策は、明治期からの長い積み重ねの上にあって、効果を発揮してきたものだと思っています。

「分かりやすさ」と「美しさ・豊かさ」

 ――改定後の常用漢字表については、「書けなくても読めればいい」という字があり、それはどうなんだろうという思いがあります。世の中で「読めるが書けない」字が使われるのは問題ないと思いますが、教育現場では「読める字=書ける字」であったほうがよいのではないかなあと。

武田さん:私は教員時代、漢字が苦手だという生徒をたくさん見てきました。常用漢字2136字を全て読めるようというのは、そう簡単なことではありませんし、書くとなれば、なおさらです。また、これから外国の方たちがたくさん入ってくるといったことも視野に入れると、目を配らないといけないところが新たに生まれてくるように思います。新聞も表記を考えないといけなくなるかもしれませんね。

 ――新聞の表記については「もっと漢字にしろ」という人が多いと思うんですけれど、「そうじゃないんだよなあ」と思います。漢字が多いと読む気をなくしてしまう人もいると思うんですよね。外国人が今後増えて、その人たちにも「日本語を教えろ」と言う人がいますけれど、国語課がそこで大変になりますね。

武田さん:そうかもしれませんね。日本語を使って生活する方たちが、円滑に意思疎通を図れるように改善していくのが国語施策です。それとともに国語を守らなければいけないという面もあります。かつての国語審議会のキャッチフレーズに「平明、的確で、美しく、豊か」というのがあります。伝達手段としての側面を優先すると、美しさや豊かさが犠牲になる面もあります。

 2017年度まで国語分科会で検討していただいた「分かり合うための言語コミュニケーション」では、美しさ・豊かさは一旦おいて議論されていた面がありました。代わりに言語コミュニケーションの四つの要素として「正確さ」「分かりやすさ」「ふさわしさ」「敬意と親しさ」を掲げる報告になっています。

 もちろん、未来にわたって日本語を残していくということを考えると、美しさ・豊かさということも考えていかないといけないですね。

「絶対的な正解がない」これからの日本語

 ――国として「こういう日本語を残していきたい、こういう日本語にしていきたい」といったものはあるんですか。

武田さん:私がお答えできるような質問ではありませんが、現在の国語分科会では、例えば言語コミュニケーションについて検討していただいた際にも、何か「輝かしい正解がある」という雰囲気よりは、「絶対的な正解がない中でどういう言葉を選び取っていくか、どのようにコミュニケーションを図っていくか」という考え方の下で議論していただいたと思っています。「社会の多様性を前提とした考え方を取っていくべきではないか」といったご意見が出ることもありました。

 国語施策の軸は「母語としての日本語」に置かれます。母語として日本語を使っている人たちを対象にすることは変わりませんが、その上で、これからの時代の多様化する社会で求められる国語、日本語の在り方を考えていくことになるのだと思います。

 ――ありがとうございました。

 

プロフィル
武田康宏(たけだ・やすひろ

文化庁国語課の国語調査官。高校の教員(国語)を務めたあと2008年から現職。「国語に関する世論調査」は08年から13年まで直接担当し、現在は「後見のような立場」。1966年生まれ。

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