今月出た三省堂の「大辞林」第4版は、「物理的に1冊に製本できるか」「市場的に紙の辞典を出せるのか」という二つの大きなハードルがあったといいます。電子版を含む「フルセット」で行ったという改訂について編集長の山本康一さんに聞きました。

大辞林編集長の山本康一さん

 

日本を代表する中型国語辞典の一つ「大辞林」の最新版となる第4版が9月5日に発売されました。今回の改訂のポイントや辞書の役割などについて、三省堂大辞林編集部の山本康一編集長にうかがいました。

【聞き手・佐原慶】

 

プロフィル
山本康一(やまもと・こういち) 三省堂大辞林編集部編集長、辞書出版部部長。1966年高知県生まれ。93年の入社時には第2版の編集作業をしており、その時以来大辞林に関わっている。第3版改訂時には辞書のデータベース化などデータ面でのサポートをメインで担当。2010年から大辞林編集部編集長。例解小学国語辞典、新明解類語辞典などにも携わる。
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電子版も含めて「フルセット」

――大辞林の特徴は。

 大辞林には二つの大きな特徴があります。一つ目は「日本語の基本辞典」として、古代から平成、令和に引き継がれる日本語の長い歴史を振り返っていることです。現代語のみを扱う小型の国語辞典とは違い、中型国語辞典は古語から現代語までそれぞれの時代を対象としており、多義語も古代から現代に至るまでの意味を載せています。

 もう一つは「新しい時代の基本辞典」として現在の社会・文化を映すことばを収録し、新語や語義の変化(広がり)を押さえていることです。古代から現代を日本語の縦軸とすれば、現在の社会は横軸であり、その両方を対象としています。

 広辞苑など他の中型国語辞典と違うのは、(大辞林の)初版の前書きにあるように「現代語の記述に重点を置きつつ、古語や百科語をも含めた総合的な国語辞典」を目指している点です。

 他の辞書は語源から紹介する歴史主義を採用していますが、大辞林では現代語の観点から日本語の総体を見渡しています。例えば「におい」や「おどろく」などの多義語も、それぞれ「かおり」「びっくりする」という現代語義から解説し、その後に「色が美しく映えること」「目が覚める」という「本来」の意味に触れています。

電子版を操作する山本編集長

 

ーー第4版ではスマートフォンで使える電子版のアプリも付属していますね。

 書籍購入者への特典として、スマホで利用できる三省堂のアプリがダウンロードできるようになっています。第3版の時もパソコンで利用できるサービス「デュアル大辞林」を提供していましたが、その後継としてスマホに入れて外にも持って行けるようにしました。単体のアプリもあります。第4版発売後のアップデートにもアプリでは対応していきます。

 書籍には入りきらなかったものでも電子版のみに収録した項目もあります。第4版の改訂では、電子版を含めた全体のデータを「大辞林のフルセット」と捉えました。これからの時代では、電子版がメインに使われるかもしれないので、書籍だけではなく全体を改訂しました。書籍は第3版から1万3000増の25万1000項目ですが、フルセットでは27万項目弱あります。

広辞苑の好調が後押し

――今回の改訂の特徴は何ですか。

 大辞林のフルセットを書籍版と同等のレベルで提供したいというのが今までとの大きな違いです。第4版は第3版より224ページ増えましたが、用紙と製本を工夫して若干薄くすることができました。分冊にすることも検討しましたが、使いやすさを考えて何とか1冊に収まるようにしました。第3版の段階でこれ以上は増やせないと言われていたため、そもそも製本できるのかというのが大きなハードルでした。

 また、物理的に実現できるかに加え、市場的に紙の辞典を出せるのかというのももう一つの大きなハードルでした。去年広辞苑が改訂されましたが、その売れ行きが好調だったのが後押しになりました。

――部数の目標はどれくらいですか。

 (同席した販売部販売宣伝課長の佐藤洋一さんより)初刷りは3万部で、できるだけ早く5万部を達成したいと思っています。辞典業界は、学習者向けは堅調なものの、中型や大人向けは厳しい状況です。ただ広辞苑の売れ行きを見る限りでは、達成できない数字ではないと考えています。

紙の辞書の「令和」に歴史的意義

ーー第4版の出版日が決まったのはいつですか。

 広辞苑が出ると分かった後に改元されるということも明らかになり、最終的に日にちが決まったのは2年前ぐらいですね。「新しい時代の基本辞典」を令和に出すことに意義があると考えました。紙の辞書はその時代のことばの記録であり、「令和」「令月」を引けることは後年から見て歴史的な意義があると思います。

書籍版より

 

書籍版は「安定性のあることば」

――辞書改訂後も編集部は存続するのですか。

 改訂後も日々のメンテナンスが必要です。紙の辞書を出版した後も、問い合わせへの対応、次の改訂への準備、電子版のアップデートなどを日々行っています。データを月々増補していく作業があるので、常時ある種の改訂をしているような感じですね。

 増補自体が次の改訂の準備になり、第3版改訂後に増補してきたものが第4版の新規追加語になっています。増補してきたものを材料にしながら、最後の何年間かで全体としてのブラッシュアップや中身の点検など、まとめ上げる作業(=本格的な改訂作業)をするというのが他の辞書とは違うところです。

――第4版では1万3000項目増ということですが、追加したり削除したりした結果、最終的に増やしたということなのでしょうか。

 まず第3版の未収録分を含め25万8000項目あり、増補作業で追加したものをあわせて27万1000項目のエントリーがありました。そこから削除して27万弱がフルセット、25万1000が書籍分となっています。追加時に選別しているので、削除項目としてはそれほど多くありません。削除されたのは主に俗語、時事用語で、「均一価格居酒屋」「ジベタリアン」などは見送りました。

 書籍は「精選版」として、次の10年後の改訂まで堪えうるような安定性のあることばを収録しています。現代的で動きの激しい分野の用語は電子版のみに掲載しているものも多いです。

使用実態と規範性 どちらも大事

――新しいことばが定着したかはどのように判断しているのでしょうか。

 新聞、テレビやインターネットから使用例を採集しているのですが、そこでどういう書き方をしているのかを見ています。採集したことばのデータベースが20年分あるので、それを基にどのように用例が変わってきているのかも判断材料にしています。

――「鳥肌が立つ」は本来寒さや恐怖を覚えた時に用いる表現ですが、近年は感動した時にも使われるようになりました。本来とは反対の意味で使われるようになったことばはどのように扱っているのでしょうか。こうした「誤用」表現に出くわした時、校閲記者はたとえ広まってしまっていても、辞書に載っていなければそれを頼りに「誤用だ」と判断しているのですが……。

 「(感動して)鳥肌が立つ」は語義には採用していませんが、補足説明で「近年では深い感動を覚えた時などにもこの表現を用いることがある」として、感動の用例を加えています。

 他にも(本来は世間で“擦れ”て悪賢くなるという意味の)「世間ずれ」は「近年、『世間の常識から外れている』の意で用いられることがある」、「敷居が高い」は「近年『高級さ・上品さにひるんで行きにくい』の意で用いることがあるが本来は誤り」としています。

アプリ版より

 

 みんなが使って意味が通じているものを正面からノーとは言いにくいですし、全くその意味がないかのように無視することもできません。しかし、本来どうだったかは書いておく必要があります。世の中の実態を見せることと、辞書に求められる規範性――。そのどちらも大事なのです。

時代を記録し変化に対応

――第4版では複合動詞の用例を増やしたそうですね。

 外国から来た人が増え、非母語話者が辞書を使うこともあるでしょう。従来の辞書の立場ではそれぞれの動詞が載っていればいいというものでしたが、母語話者には自明でも、組み合わさることで意味が少し変わるために説明が難しいものがあります。例えば「咲き競う」は「咲いて競う」のではなく「美しさを競うように一斉に咲く」ことですし、「溶け出す」は「溶けて他の液体に混ざる」という意味です。これからは日本語を外から見た視点も必要になるのではないでしょうか。

アプリ版より

 

――項目、語義の追加や削除の判断はどのようにするのですか。

 最終的には編集長である私の判断です。文法や日本語学の知見は専門の先生にうかがいます。書籍は一度出版してしまったら変えられませんが、電子版は変えられます。進化・発展していく辞書というのがこれからの一つの形態になっていくでしょう。日常的によりよいものにしていき、その時々に得られた知見を反映していくのです。歴史的な変遷と動きの大きい百科項目を共に対象とする大辞林は、時代の記憶を記録しつつ常に変化に対応してアップデートしていく必要があります。それこそが今後の中型国語辞典に求められる役割と言えるでしょう。

初の「フルセット改訂」の苦労

――改訂作業のスケジュールはどのようなものだったのでしょうか。

 編集長になってから第4版の改訂を見据えて本格的な作業に入りました。大辞林くらい大きなものになると通常のテキストベースでの編集は難しいため、データベースにして電子的な検索ができるようにしています。第3版の時に使っていたシステムは古かったのでシステム設計からやり直したのですが、ここに労力が割かれて初動が遅れてしまいました。

 本格的なゲラでの改訂作業(書籍未収録分も含む)が始まったのは2年前ぐらいで、そこからはゲラと編集システムでの作業を並行します。これだけの規模のものを2年で何回転かしないといけないのは非常に厳しい作業で、最後の半年はほぼ休めずという状態になってしまいました。

――それは大変ですね。何人くらいで作業したのですか。

 月々の増補は4人ほどで行うのですが、ゲラ作業になると校正者含めた外部スタッフや、社内の応援も借りて20人ぐらい。専門分野の校閲なども含めると40~50人くらいはいます。

――校閲作業はどのように行うのですか。

 月々の増補ではアップデートする前に外部の校正者に素読みしてもらい、改訂作業では用字用語の直しや統一をしてもらいます。専門用語のファクトチェックは専門家にお願いし、返ってきたものに校正者が再び用語の直しを入れます。他との関連でここも直すといったことがあるので何度もやりとりします。

――改訂で一番大変だったこと、印象に残っていることは。

 印象にも残らないような時期が大変でした。ただ一番大変だったのは書籍を作るだけでなく大辞林のフルセットを改訂したことですね。新しいやり方への戸惑いもありました。また、1冊に製本できるのかも不安でしたし、何万語まで収録できてどこまでを書籍分とするのかの線引きもなかなか決まらず大変でした。

さらに近代文学作品の用語を

――いつごろ改訂が終わったのですか。

 9月初旬の発売で、印刷・製本に2~3カ月かかるため、校了は5月末でした。校了後もデータの整理、電子版や他社へのデータ提供の処理に1カ月ほど費やし、一段落したのは7月に入ってからでした。

――校了後にこうしたかったなと思うところや心残りはありますか。

 (日本人の場合掲載するのは亡くなった後なので、6月に亡くなった)田辺聖子さんを載せられなかったのは残念ですね。今年の話題として「亥年(いどし)選挙」もできれば入れたかったです。

――最後に、次回に向けた課題や目標はありますか。

 今回の改訂で近代文学作品の用語を充実させたので、その方向性をさらに広げていきたいです。気になる言葉や知らない言葉、知っている言葉の使い方の確認以外に、何かを読む時にも辞書は使われます。近代文学は現代語の基盤をなす一方で現代語に残っていない語も多いため、近代文学を読める辞書にしていきたいです。

 

「大辞林」とは
88年初版刊行。初版は企画・立案から刊行まで28年を費やして22万項目を収録。95年に23万3000項目を収録した第2版、06年に23万8000項目の第3版を刊行。13年ぶりの改訂となった第4版では25万1000項目を収録している。

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