作家の逢坂剛さんとお話をする機会に恵まれました。驚いたのは次々に出てくる日本語の話題。言葉についてメモしたカードを持ち歩いており、「まるで辞書の編集者ですね」と言うと「辞書にない言葉を集めてみたい」とのこと。該博な知識量に圧倒されました。

取材をしない校閲記者は外部の有名人と会うことは普通ないのですが、先日思わぬことで作家の逢坂剛さん(写真)とお話をする機会に恵まれました。毎日新聞校閲記者が「サンデー毎日」で連載中のコラム「校閲至極」に逢坂さんが目をとめ、毎日新聞の学芸担当記者を通じて、会いたいという申し入れがあったのです。

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校閲者が選ばれた理由

逢坂さんは1943年生まれ。「カディスの赤い星」で直木賞受賞。警察物、時代物など幅広くこなし、代表作「百舌(もず)」シリーズが西島秀俊さん主演でドラマや映画になったことは記憶に新しいのではないでしょうか。現在、毎日新聞日曜版で「道連れ彦輔 居直り道中」を連載中です。

「校閲至極」は昨年5月から東京、大阪の校閲記者が交代で執筆しているコラムで、このほど50回を超えました。校閲としてはプロですが、一般記者ではなく記事を書くことは素人同然の筆者ばかりです。その文のどこが高名な作家の注目するところになったのか。ややいぶかしく思いながら会談に臨みました。

会ってみたら驚きました。次から次へと出てくるのは日本語についての話題。作家としては言葉の使い方に関心を持つのは当然かもしれませんが、言葉を直すためそれなりの経験を積んでいる当方も逢坂さんの該博な知識量に圧倒されました。ああ、そういうことをしゃべりたかったのか、それで校閲を相手に選んだのかと納得しました。

「散見される」は「散見する」か

たとえば――

なにかが「散見される」という言い方。本来は「散見する」だったということです。辞書の用例は「する」だと。それで思い出したのは、「校閲至極」に初めて拙文を書いたときのこと。「あってはならないミスですが、実は散見されます」と書いた原稿に対し、「『散見される』とはいわない、『散見する』ではないか」という指摘がサンデー毎日の校正からあったと同誌編集者から知らされました。ちなみに校閲記者が書いた文章も、サンデー側は毎日新聞の校閲とは別の第三者の担当がきっちり校閲してくれます。

「えっ、『散見される』っていうよね」と思いつつ手近の広辞苑を見ると「各地に散見する風俗」と用例があります。出典を明示する日本国語大辞典には森鴎外「舞姫」から「幾百種の新聞雑誌に散見する議論」、獅子文六「自由学校」から「町に散見するあんちゃんの風俗」が例示されています。自分の常識が崩壊する音を聞く思いでほかの辞書にあたると、

・明鏡国語辞典(2版)の用例に「紙面に誤記が散見する」「一帯に散見する高層ビル」「このところ対応が不十分な例が散見される」
・岩波国語辞典(7版)の注記に「『散見される』とも言う」

――とあり、「散見する」も「散見される」もともにいう、ということで安心して「される」で通したことがあったのです。すっかり忘れていましたが、サンデー毎日がらみの縁で記憶がよみがえりました。

「無理からぬ」は本来「無理ならぬ」

逢坂さんの話に戻ると「無理からぬ」は「無理ならぬ」が本来正しいと言われていました。いままで考えたこともなかったのですが、確かに「無理だ」という形容動詞の活用として「からぬ」は文法上ありえません。しかし、辞書で「無理からぬ」を見ると

・岩波国語辞典(7版)…《連語》本来は「無理ならぬ」であるべきだが、「遠からぬ」などに類推して出来たもの
・新選国語辞典(9版)…「無理ならぬ」が本来であるはずだが、「高からぬ」「低からぬ」などの類推からできた語

――と注釈があります。

「散見する」「無理ならぬ」というのが本来正しいという判断のもとに筆者が書き、校閲が通すというのも一つのあり方かもしれませんが、逆に読者に「誤りではないか」と思われる危険性はあります。

逢坂さんにもそういうジレンマがあり、今は「支那事変」とはいわないという指摘に従って「日中戦争」と表記したところ、年配の読者から「当時はそんなこと言わなかった」と手紙が来たことがあるそうです。それがきっかけで逢坂さんと読者との文通が始まったということですから、人気作家でも一読者に真摯(しんし)に対応されているということに感心しました。

「辞書にない言葉を集めてみたい」

そして何より驚いたのは、言葉について辞書などからメモしたカードを持ち歩いていることでした。ほんの一部を撮影させてもらいました。

逢坂さんのカード

 

「まるで辞書の編集者ですね」と言うと、「辞書にない言葉を集めてみたい」とのことです。例えば「臭跡」。その言葉を使った題のミステリーもあるようですが、辞書にないといいます。後で職場の最新版も含む辞書を可能な限り調べましたが、確かに見当たりませんでした。

そんなこんなで、貴重な時間はあっという間に過ぎていきました。逢坂さんの小説のますますの健筆を祈っていますが、故・井上ひさしさんが残したような言葉に関する連載エッセーも読んでみたいと思いました。この拙文を読んでいただいた中に編集者さんがいれば、企画いかがですか?

【岩佐義樹】

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