顔真卿展を見に行き、顔真卿自身の書の中で、「真」の字体が複数あるのに目が留まりました。こんな違いが気になったのも、仕事で「正しい字とは何か」と考える機会が多いからです。

 

上野の東京国立博物館で「特別展 顔真卿」を見てきました。最終日の前日の土曜日、しかも暖かい日和ということもあり、人、人、人の長蛇の列でした。

展示は二つの会場に分かれており、それぞれの入り口に「顔真卿」という巨大な字が掲げられていました。撮影禁止なので写真は掲載できませんでしたが、興味深い違いがありました。一つは顔真卿の「真」の上が「ナ」という、いま一般的に使われる字体に似た字、もう一つの入り口は上が「ヒ」で旧字体の「眞」に近い字だったのです。

図録表紙の一部

 

係の人にせかされてじっくり鑑賞できなかった一番の目玉「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」はさておき、顔真卿筆とされる自身の字に注目して他の展示を見てみました。すると――

図録より「麻姑仙壇記」771年、香港中文大学文物館

 
「眞」の字に近い字を発見。「麻姑仙壇記(まこせんだんき)」という作品です。図録によると

麻姑は若く美しい女性で、歳は十八、九ほど。そして鳥のような爪があった。これが「まごの手」の由来となっている。

という語源説があるそうです。なんと、「孫」はなかったのですね。確かに日本国語大辞典で確認すると「麻姑」の項に

中国の伝説の仙女。後漢の時代、姑余(こよ)山で仙道を修め、また、鳥のように爪が長くて、これでかゆい所をかいてもらうと非常によい気持であったという。

とあります。いやあ、別に仙女じゃなくても若く美しい女性にかゆいところをかいてもらうと……。ハッ、私としたことが、あらぬ妄想を。いや脱線してすみません。本題に戻ります。

麻姑

 

私が見たところでは、他に旧字ふうの「眞」は見つかりませんでした。あとは「真」に近い字。

ポストカードより「千福寺多宝塔碑」752年、東京国立博物館

 

ところで、ここでいちいち「旧字ふう」とか「『真』に近い字」とか書いているのは、今の印刷字体の「眞」とも「真」とも微妙に違っているからです。パソコンなどで表示される字を拡大しますと――

 

 

旧字体では真ん中の「目」の左に縦棒があり、新字体では「目」とその下が離れています。

これが顔真卿の書では

となっています。

さて、こんな違いが気になったのも、仕事で「正しい字とは何か」と考える機会が多いからです。

真の字とは違う話になりますが、最近もある有名人と、ある一般の方が、新聞に載った自分の字が「間違っている」と相次いで抗議してきたことがありました。正しくは旧字体ということです。

新聞には一般に、いわゆる旧字体は使わないという原則があります。あまり知られていないようですが、これは固有名詞にも適用されます。

例えば「櫻井」は「桜井」、「學」は「学」と書きます。たとえ戸籍で旧字であっても、新字に直して表記するのです。これは当用漢字で字体が整理されたころから新聞が当たり前のように行ってきたことでした。

理由としては、本来同じ字なので統一した方がよい、そして統一するなら難しい字よりも易しい字の方がよいという事情があります。そういうと便宜上と取られなくもないのですが、根本には「文字は公共のもの」という考えがあります。名前は個人のもので、私的にはどう書いてもよいのですが、公共の場では公共の、すなわち共通で通じやすい文字を使用すべきだという考え方です。

ちなみに、顔真卿さんが現代日本に転生して展覧会の会場に来たとしたら何と言うでしょう。「なんでこっちの入り口とあっちの入り口の『真』の字が違うんじゃ。けしからん」と怒り出すでしょうか。また「わしの名前の字は『目』の縦線と『一』がくっついた字じゃ。そうじゃなければいかんのじゃ」とこだわるでしょうか。

きっと違うでしょう。状況に応じて旧字ふうと新字ふうを使い分けている人ですから。「分かればよいのじゃ」。当たり前のように言うかもしれません。

その当たり前がいま、当たり前でなくなっているようです。しかも年々その傾向が強まっているように感じます。想像するに、旧字などが「正しい」と言う人は漢字を覚え始めたころからずっと名前にその字しか書かないし、学校など周囲もそうしてきたのでしょう。それがある日、新聞に載った自分の字を見て強烈な違和感を覚え「字が間違っているぞ」と言うことになると思われます。いや、間違いとか正しいとか、そういう問題ではなく、本当は同じ字なのですが、自分の字はこれしかないと思い込んでいる人が増えているのではないでしょうか。

ところで、今回の展示物の一つに「干禄字書」というのがあります。図録によると

「干禄字書」774年、東京・台東区立書道博物館

 

漢字一字につき正字・俗字・通字の三種の字体をあげて説明をつけた顔元孫の著作。これを甥の顔真卿が楷書で書き上げ、石に刻ませたものである。

唐の時代も多様な字体には悩まされる人が多く、ガイドブックが必要とされたのでしょう。裏返していえば、TPOによって字体を使い分けるということが常識であったがゆえに、こういう字書のニーズがあったともいえます。

現代日本ではその常識はほとんどなくなりつつあり、新聞でも旧字体を使うケースが増えてきてはいます。しかしやはり、どこかで線引きは必要でしょう。その一つのガイドラインが「常用漢字表」です。

展覧会の図録には「漢字と印刷字体」という一文があります。

大正期以降は、時代の趨勢(すうせい)に呼応して当用漢字字体表(一九四九年)や常用漢字表(一九八一年)など、日常的に使用する漢字の目安が設けられます。ここでの漢字は、『康熙字典』に依拠した康熙字典体(旧字体)から、わかりやすく平易な通行字体(新字体)へと改変されました。

康熙字典の書体は現在の明朝体の模範となっていますが、それは「顔真卿風の書体」だそうです。つまり新聞などの明朝体活字は、顔真卿が影響を与えているということになります。それを知ると、いままで遠い存在と思ってきた顔真卿の書が急に身近に思えてきます。

人波にもまれても行ってよかった。24日は最終日ですが、迷っている方は、毎日新聞社が主催だからということではなくお勧めします。必ず何らかの発見がありますから。

【岩佐義樹】

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