言葉にまつわる仕事という共通点をもとに、校閲ならではの視点を交え会って話を聞くシリーズ「校閲記者が聞く」。第1弾は岩波書店辞典編集部の平木靖成さん、奈良林愛さんです。まずは校閲記者が気になっていた言葉について伺いました。

 校閲記者が仕事をする上で頼りにしている辞書。その作り手は、どんなことを思いながら言葉と向き合っているのでしょうか。

平木 靖成 ひらき・やすなり (写真右)
1992年岩波書店入社、翌年辞典編集部配属。広辞苑7版では編集責任者を務めた。東京都福生市出身。

奈良林 愛 ならばやし・あい (同左)
2006年岩波書店入社、16年辞典編集部配属。広辞苑7版の編集作業をはじめ読者対応などにも携わる。千葉県八千代市出身。

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「やおら」 “新しい意味”は用例発掘から

 ――広辞苑第7版で「やおら」の語釈に②で「あわただしいさま」が明治期の用例とともに加わりました。9月に発表された2017年度「国語に関する世論調査」でも改めて取り上げられた語ですが、本来とされる「ゆっくりと」とは別の「急に」などの意味を「誤り」などの注記なく載せている辞書はまだ他にほとんどありません。今回、この語釈が加わった経緯は。

「やおら」第7版(左)と第6版

 

 ◆平木さん 「やおら」は国語関係項目の校閲者がこの用例(福田英子「妾の半生涯」)を見つけてきて、それで入れてもらいました。だから「国語に関する世論調査」を意識したわけではなく、用例から入れた意味でした。

 新しい意味を入れるにせよ、用例は確認したいと思っています。新しい言葉でも昔から使われていたんだ、みたいなことが分かるとよりよい。

 ――校閲者が見つけた用例だったんですね。いろいろな辞書で検討されていても用例を新しく見つけ出すというのは、調べ方の進歩とかも関係するのでしょうか。

 ◆それはあるでしょうね。

 ◇奈良林さん 他にも、平木と一緒に働いている課長は近代文学の全集の編集も経験してきているのでその時期の言葉に詳しく、例えば漱石で「机の上の置時計がきちきちと鳴る」というような用例を見つけてきて加えていました。

「きちきち」第7版

 

「海嘯」にも用例から語釈

 ――他に第7版で語釈を加えたり変更したりした語には、どんなものがありますか。

 ◆「やおら」のように用例発掘によるものは多くはないと思いますが、記憶に残っているのは「海嘯」(かいしょう)です。②で「海水がおし寄せること。津波」の語釈を加えました。

 これまで海嘯は、アマゾン川などで顕著にみられる「満潮が河川をさかのぼる際に激しく波立ちながら進行する現象」というのしかなかったのですが、今回「神戸大学新聞記事文庫」をとても活用させていただいた中で、大津波で使った用例があって、検討した上で②に入れました。

「海嘯」第7版(左)と第6版

 

新語より“ありそうで、なかったもの”がうれしい

 ――印象に残っている言葉はありますか。

 ◆世の中やマスメディアからは、「ちゃらい」や「がっつり」のような、いわゆる“新語”に関心を持たれることが多いんですけど、第6版で入れた「血流」とか、今回(第7版で)入れた「開脚」とか、そういう“ありそうで、なかったもの”を見つけるほうがうれしい。辞典業界ってどこか横並びなところがありまして、なんだどこの辞典にも入ってないじゃないかみたいなこともありますね。

「営業」「地域」に追加 “なんでなかったのか”

 ◆「血流」「開脚」レベルでいうと、今までなんで入れられてなかったんだろう、というのが「営業」。「営利を目的として事業をいとなむこと」とあったんですが、いわゆる「販売促進業務」、営業マンとか営業活動とかの意味がなかったので今回入れました。そういうのはうれしい。

「営業」=同

 

 あと「地域」。「区切られた土地」というのは載っていても、地域の清掃といったときのような「住民が共同して生活を送る地理的範囲」、要は自分の住んでいる根付いた周辺という意味はこれまで載っていませんでした。

「地域」=同

 

 ――そういう気づきというのはどういうときに。

 ◆「営業」は、単純にゲラでの項目の素読みだったと思います。

 ◇先ほどの課長は「うちのポットにこんなものが書いてあったよ」とか教えてくれます。いろいろなところを気にしている人もいますね。

 ――他の辞典を気にすることもありますか?

 ◆これはやられたと思ったのは、三省堂さんの大辞林に「うん」が入ったと知ったとき。ほら、「うん十万」とかの数字をぼかすやつです。こういうところに視点がいかなきゃいけないんだよなあと痛感しました。(下の写真は大辞林2版=1995年)

第7版で変わったもの、変わらないもの

 ――よく話題になる語で見直したものはありますか。

 ◆話題になる語は「国語に関する世論調査」的なものを指してだと思うのですが、あまりないです。

 記憶に残っているので言うと今回は、「にやける」「姑息」「敷居が高い」は手を加えましたが、「壮絶」「噴飯」「雨模様」だとかはそのままです。

「にやける」「姑息」「敷居が高い」。第7版(左)と第6版

 

 

「換骨奪胎」 誤用と言われ続ける使い方

 ◆そうそう、今回、この取材を受けるに当たって改めて調べてみて面白いと思ったのは「換骨奪胎」。第2版までは、二番煎じみたいな悪い意味が主だったのに、第3版からは、そういう「焼き直し」の意は誤用という注記があるんですよ。(第3版の刊行は)1983年ですからね。40年ぐらい前から、「換骨奪胎」を悪い意味で使うのは誤用と言われ続けていることになります。

「換骨奪胎」第3版(左)と第2版

 

 新しい意味や誤った使い方というふうに世の中で思われているかもしれないものも、ずーっと何十年もその語形や意味で使われているケースがあるんだなと思います。そういう言葉に対して、これは誤用だと繰り返し繰り返し指摘があって、世の中の人の頭にインプットされるから、(誤用かどうかはさておき)なかなか承認しにくい。

 ここだけの話、誤用だって騒がれていることほど入れにくい。入れてしまうと広辞苑がなんで(入れたのか)と注目を集めて批判されたりしますから。

「顔出し」「拡散」「機材」に加えた意味

 ◆ほかには、話題の語ではありませんが「顔出し」。もともとあったのは「訪問する、あいさつに行く」なんですが、ネット上で「顔出しオッケー」みたいに使われている「発言者や投稿者の顔をうつしだす」という意味を加えました。

「顔出し」第7版(左)と第6版

 

 「拡散」っていう言葉では核拡散防止のように「ひろがり散る」といった自動詞的な意味に加え、デマを拡散するのように「ひろめ散らす」といった他動詞的な意味を入れました。

「拡散」=同

 

 

 あとは「機材」に「機械の材料。また機械や材料」のほかに「ある用途のための機械や道具類一式」「航空機の機体」といった意味を追加しました。

「機材」=同

 

「真逆」は“普通の言葉”に

 ――第7版で「真逆」(まぎゃく)が、「俗に」などの注記なしに普通に使われる言葉として入った(下の写真)のは、広辞苑として、定着したと判断したということですか。

 ◆そうです。私自身も使います。

 

ウィ・ウェ・ウォ表記が多いのは

 ――カタカナ語の表記について、広辞苑はウイ・ウエ・ウオではなくウィ・ウェ・ウォにすることがかなり徹底されているようですが、変更されたものもあるようです。どういう基準になっているんですか。

 ◆第7版の改訂では、特に系統立てて見直してはいません。なんで小さいイが多いか、はっきりとは分かりませんが、外国語に詳しかった新村出氏の息子さん(出氏とともに広辞苑の編集に携わった仏文学者の新村猛氏=1905~92年)がそういう表記を好んだのではないかと考えられます。

ウィ・ウェが多い広辞苑の表記の例(第7版)。右は例外

 

 個人的には、イを大きくしたり逆に小さくしたりとか直したいものもあるのですが、広辞苑って直すと「何で直したんですか」とかいう問い合わせが来るので、やらない面はあります(笑い)。もちろんそれだけが理由ではありませんが。

 

見出しが示すのは音か表記か

 ――「キウィ」だったのが第7版で「キウイ」になってほっとしました。

「キウイ」第7版(左)と第6版の見出し

 

 ◆それでいうと、辞典の見出しは、そのまま標準的な表記形として掲げるのか、音を写して項目へ導く目印ととらえるのか、読者へのサービスとして難しい面があるんです。特に、どちらを表しているのか分からないのがカタカナ語でして。「レインコート」は、表記の見た目としては「レイン」じゃないとかっこ悪い、おさまりがよくないっていうのが今の多くの受け止め方じゃないかと思うんですけど、口では「レーン」コートって言っているかもしれない。

 カタカナ語でなければ、その下に【 】で囲まれた表記形があるので、そこで改めて表記を示すことはできるのですが、カタカナ語については見出しの位置づけが難しい。

 もともと広辞苑の見出しは表音表記で、四つ仮名の「じ」「ぢ」も「ず」「づ」も、現代仮名遣いの決まりを知らない人でも音から引きやすいように、全部「じ」と「ず」で第3版までやっていたんです。でも、それじゃ見た目が変だっていう感覚が世の中に増えちゃったんです。本当は音で引くための索引でしかないのが見出しかなとも思うのですが、見出し自体で標準的な表記を示さないと許されないという流れを受けてはいます。

「手綱」などは「たずー」で引く第3版(赤線は引用者)

 

采配は「ふる」か「ふるう」か

 ――広辞苑には「采配を振る」という項目がありますが、「ふるう」の項目には「采配をー・う」という用例があります。毎日新聞は、采配は「振るう」ではなく「振る」としているので気になったのですが、どういう意図があるんでしょうか。

「采配」(左)と「ふるう」(第7版、赤線は引用者)

 

 ◆これは気づきませんでした。見出し、項目を立てるときには、語を選択する集中力が2段階3段階あがりますから、項目を立てたということは「振る」を慣用句の見出しとすべきメインの動詞だと決めたんでしょう。でも、用例と見出しは意識するレベルが違ってきてしまう。意識していたら統一しているはずですから。用例でも「采配をふるう(振る)」などと書くと思います。

 見落としていて「そうかこういうことは気が付かなかった」とか思うことは多いですよ。「輩出」は、いま広辞苑は自動詞的な意味でしか語釈を書いていないんです(「続々とつらなり出ること」)。人材「を輩出」するという意味がないのに、ほかの項目の語釈・解説には他動詞的用法が出てくるという指摘を受けました。

 

見出しを立てるか、用例で書くか

 ――ある表現について、見出しとして立てるか、中の用例として書くかには、どういう違いがありますか。

 ◆それは意味の問題か、コロケーション(語の慣用的なつながり方)の問題か、ということになるんでしょう。第7版で「地雷を踏む」という見出しを立てたんです。でもほかの辞典には「地雷」の②で「言っちゃいけないこと」と書いているのもあって、「地雷を踏む」全部で慣用句でいいのか、それとも単に「地雷」としてコロケーションとして踏むを用例で入れとけばいいのか。その判断は迷います。なんとなく「地雷を踏む」という項目にした方が、語釈として書きやすかったというのは覚えていますが……。

広辞苑第7版(左)と大辞林第3版(06年)=赤線は引用者

(次回へ続く)

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