月刊誌「婦人之友」4月号の座談会「日本語のゆくえ——辞典をつくる」に参加しました。

座談会の内容は「婦人之友」4月号を読んでいただきたいのですが、載り切らなかったことや個人的な感想などをつらつら書いてみたいと思います。

この企画は「広辞苑」が10年ぶりに改訂されたことによるそうで、メンバーの一人は岩波書店辞典編集部の平木靖成副部長。昨年末の日本記者クラブでの会合や今年1月の「国語辞典ナイト」というイベントでお会いしていたので安心していました。

しかし、もう一人が作家の阿刀田高さんに決まったと聞いて、「ひええっ」とおじ気づいてしまいました。一介の校閲記者が大作家の方と同席して、しかも座談会だなんて……。

「婦人之友」編集部の方にメールでこぼすと「お菓子担当がおいしいケーキを焼いておきますから、リラックスして来てください」と優しく促してくださいました。決してケーキにつられたわけではありませんが、意を決して2月8日、東京・西池袋の婦人之友社に伺いました。

最初に到着し、温かい雰囲気の応接室に通されました。いすにはそれぞれクッションが置かれてリラックスできそうです。編集部からはいずれも女性のお二人が参加しました。

まずは、広辞苑改訂について水を向けられた平木さんが「かいつまんでですか……話し始めると30分くらいかかってしまいます」と困り顔で言うので皆笑い、さらに阿刀田さんが「広辞苑は家に4冊あって、最も古い版のものはトイレに」と話してどっと笑って、緊張がほぐれてきました。

平木さんは口が重い方のようでしたが、阿刀田さんが次々質問してくださるので「へーえ」とわかったこともありました。例えば「人名は物故者だけ? 編集作業中に亡くなった方がいると……」という問いには「日本人は物故者だけです。今回最後に入れた項目は羽田孜さんです」と平木さんが答えます。

後で7版を引いてみたところ、項目としては「羽田」で、「姓氏の一つ」の後に「—つとむ【羽田孜】」として説明が書かれていました。羽田元首相一人が入ることによって「羽田」という姓が立項されたわけです。

ちなみに「大辞泉」を見たところ、初版では一つの姓に複数いれば姓を項目名にし、1人ならば氏名で一つの項目にしていたものを、2版では、姓だけで立項せず、同姓であってもそれぞれ氏名で項目を立てていることがわかりました。

平木さんによると、広辞苑といえども売れなくなってきており、初版が出たのは1955年ですが、ピークは83年の3版で260万部。4版(91年)220万部から、5版(98年)100万部、6版(2008年)50万部と半減していき、今回の7版は半年で20万部が目標だそうです。

広辞苑は「一家に一冊あるといい」というような辞書だと校閲の先輩が言っていましたが、そういう点から平木さんも「昔買った広辞苑があるから(もう買わない)という家庭もあるのかもしれません」と話していました。

阿刀田さんは家庭に広辞苑を置くことについて「国語に対する愛着とか大切さといったものへの思いがここにある。それが箱に入ってでんとあるのがいい」と言いました。

箱といえば、三浦しをんさんの書いた「広辞苑をつくるひと」という小冊子を思い出しました。7版を予約で注文したところ「予約特典」として一緒に送られてきたものです。

その中に製函所を紹介した項がありました。緩くもきつすぎもしないぴったりの箱をつくる職人技に、三浦さんが驚嘆しながら書いており、それを読む側にも非常に面白いものになっています。阿刀田さんの言う「箱に入って……」を支える人がいるわけです。

また、校閲の仕事についてわたくしが説明すると、平木さんも広辞苑の校正について話してくださいました。自社の校正の方に敬意を払っていることがうかがえて、編集者と校正者がとてもよい関係にあるのだなと感じ入りました。

荒っぽい新聞の校閲と違い、辞書の校正は丁寧に慎重に緻密になされているので当然のことなのかもしれませんが、校正作業について「データを押さえていくことはだれでもできることかもしれないが、押さえた上で次の段階としては、全人生を総動員して見ていくしかない」「例えば居酒屋で耳にした話が(役に立つこともある)」のように説明してくださって、平木さんも校正の経験があるのかしらと思ってしまいました。いや、優秀な編集者には当然の目配りなのかもしれません。

その時言えばよかったのですが、わたくしは校正に興味を持ち始めた学生時代に岩波書店の校正者の著書「校正の散歩道」を読み、校正の仕事に強く引かれたのでした。岩波書店の校正の方にもお会いしたいものです。

阿刀田さんは常日ごろ言葉を鋭くも温かく見守っているのでしょう。「絆」や「一期一会」には「やたら使うようになってしまって」と惜しみ、また、「粛々というのもいい言葉だったんだけど。『鞭声(べんせい)粛々……』でしょ。政治家がやたら使うものだから。『粛々とやる』は何もやらないわけでしょ」と嘆きます。

「粛々」は漢和辞典編集者の円満字二郎さんが「政治家はなぜ『粛々』を好むのか」で解説しています。阿刀田さんの言及した「鞭声粛々」は川中島の合戦を詠んだ頼山陽の漢詩で、むちの音も「粛々」と夜ひっそり川を渡る場面です。中国の古典の擬音語・擬態語として用いられた「粛々」を引き継ぎ、日本人向けの使い方になっているといいます。そこから、秩序を保た「慌てず騒がず」やり遂げるようなイメージができ、政治家が好むところになるわけです。

円満字さんの本を読んだことがあるかどうかはわかりませんが、阿刀田さんの著書「日本語えとせとら」にも、頼山陽の漢詩に触れながら、政治家の「粛々」について「りっぱな言葉を使っているけど、要するに“適当にやります”ってことじゃないの——と誠意を疑いたくなってしまう」と書かれていました。

座談会の後半には、さり気なくケーキとコーヒーが運ばれてきました。「お菓子担当」の方の手作りでしょうか。焼き菓子にイチゴと生クリームなどがきれいにあしらってあります。可愛いミントの葉は庭で育てたものとのことでした。つられて来てよかった……。

阿刀田さんは今回、久しぶりに歴史ある「婦人之友」の健在ぶりが見られたと喜んでいました。「初心を貫いて今の読者にも訴えるように非常に多彩なページを作っていますね」と。編集部の方は「お料理の話も時事の話も一冊に入っているというところはなくしたくない。自分が選ばなくても(多彩な情報が)目に入ってしまう、それが大事なのかなと」。自負をもって誌面づくりをしている姿勢にわたくしもすっかり「婦人之友」ファンになってしまい、後日年間購読の申し込みをしました。

2時間のこの座談会で、多くのことを学び、考えさせられました。全体として、「婦人之友」編集部の方を含む5人で一致したのは「紙の大切さ」だったように思います。

辞書も新聞も電子媒体に押され、紙媒体は生き残れるのかということが現実問題として迫っています。

阿刀田さんは文章を練って練って言葉を紡ぎ出して作品を生んできており、「ネットで簡単に読めてしまうと『だれが書いたか知らない』という人がいる。書いた人への尊敬のようなものがなければいけない」と言います。さらにこう話してくださいました。

「簡単に検索できるようになっても、もとの広辞苑をつくる人がいなければならない」

「いくらネットでニュースが見られるようになっても、もうからない毎日新聞をつくっていなければ(ネット上の記事の内容も)保証できない」

——大いに励まされたのでした。

【平山泉】

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